兄目線でアニメ
 
アニメに対する、視点、論点、あと,メイドさんとか、自作PCとか、鉄道とか酒とかな話。
 



シュールレアリズム
~説明~
抽象的な冒険、日本ではダダイズムとは切り離されて考えられることが多い。

カツカリー戦記

カツカレーって青春みたいなものだと思う。カツが欠けてもカレーが欠けても、もちろんカレーが欠けても出来上がらない上、カツをご飯に乗せてカレーをかけた瞬間にカツは萎び始めてしまう。

本当に出来上がりの瞬間しか、カツカレーは完全じゃない。誰が欠けても、タイミングがずれても、成立しない青春の一ページみたいに。

でも、思えば、時間がたって萎びてしまったカツカレーだって不味いわけじゃないと思うのだ、それはそれで味あるってものだと思う。

そう思うだろ?

「そうかしら?」

そんなものだと、思いたいのだ。



5月13日(日)11:42 | トラックバック(0) | コメント(0) | シュールレアリズム | 管理

歩けるまで。

週末、僕らはなるべく歩くようにしている。

といっても、近くのスーパーとか八百屋とかカラオケ店ぐらいまでだけど。

僕はただ歩くのはどちらかといえば嫌いだ。時間がかかるし、疲れる。歩くぐらいなら、自転車に乗った方がずっと速いし疲れない。移動に使用する時間は少なければ少ないほど合理的というものだ。

でも、僕は何か目的地を目指して、一歩一歩いていくのは嫌いじゃない。

歩いて目的地に近づいている時、僕は僕の意思で死と戦っている気がする。

死はこの上ない安定だ。この世の万物は常に物理法則にのっとって、安定への道をひた走る。ヤカンから出た水蒸気は、常温の水にほっておけば戻りたがるし、持ち上げたリンゴも、手を放せば床に落ちる。

この世の万物は何一つとして、安定を好まないはずは無いのだ。そしてそれは僕の体を構成しているたんぱく質も同じ。たんぱく質は分解されて、原始の海に帰ることを望んでる。

僕の体は僕の死を望んでいるのだ。

だから、僕にとって最大の敵は僕の体だ。その体の思う壺にならないように僕は歩いて、体を運動エネルギーと位置エネルギーで一杯にしようと努力している。

でも、歩くだけでは、とてもじゃないが退屈だ。だから目標として目的地が必要だし、連れがいればなお退屈しない。

「今日は何食べる?」

そうだね、なんにしようかな?

僕らはそんな話をしながら歩いてる。きっと僕らは将来的にこの体に勝てなくなる。それは老親や死人を見れば一目両全だ。僕らの体はは死の誘惑にに勝てない。

でもそれはあんまりにも癪な話だ。でも、それでも僕は勝てないって知っている。だから、僕じゃない誰かに、この戦いを続けてもらいたいのだ。戦い続けさえすれば、もしかしたら、いつか勝てるかもしれない。

もし、僕の後継者がそれに負けないでいてくれたら、こんなうれしい事は無い。

そう、それが親になるって事なんじゃないだろうか?

「親子丼が可愛そう。」とメイドさん。

結局、僕らに親になる勇気は無いのだ。



5月12日(土)21:11 | トラックバック(0) | コメント(0) | シュールレアリズム | 管理

これが、話というものだ!

僕はハングリー精神に満ちていると思う。才能が有るか無いかは別として、僕のハングリー精神は凄いと思う、自画自賛してしまう。

でも、これは単なるハングリー精神とは違う。だって僕は金持ちじゃないけど、貧乏でもない。

「じゃあ、なんなの?」

心のハングリー精神。僕はお世辞にも元々心が裕福とはいえない、人見知りで、中々打ち解けられないし、そもそも大勢で居るのが面白くない、キャラも変わっているというか、変態だから、なかなか理解もされない。

ほっといたら、本当に一人になってしまう。孤独が僕にとって暗い崖か、明るい丘かは解らないけど、きっと油断したら一人になってしまう。

そして、一人になんかなったら、もっと心が貧乏になってしまうという感覚が、リンリン鳴ってる。

だから、僕は、これ以上貧乏になるのが怖くて、もがいてしまう、どっちに行けばいいか解らないこともあったけど、今は書けば何か良くなるんじゃないかと思うのだ、書くことが何か心を貧乏にする、貧乏神に立ち向かう武器になる気がするんだ。

きっと、この気持ちは多くの小説家や詩人に共通するんじゃないかと、ちょっと思ったりもする。

彼等に変人やエキセントリックな人が多いように見えるのは、彼等の才能が外に現れてそういうように見えるのではなくて、元々彼等はそういう性格で誤解されたり、孤独に苦しんだり、迷ったり、そういう心の貧乏神的な物から逃れたくて必死に努力している結果、彼等のような人々が物書きとして成功しているからなのかもしれない。

だから、僕は怖いのだ、もし僕がメイドさんと幸せになってしまったら、もう書けなくなる。それは親友と別れるのと同じような気分だ。

「大丈夫、それは無い。」

そう、ここは安全だ、世界の何処より安全な僕らの家だ。



5月9日(水)21:36 | トラックバック(0) | コメント(0) | シュールレアリズム | 管理

古くなってく、

十の位が二に成って、何度目かの誕生日、僕らはケーキを箸で突付きながら、ウイスキーを飲んでいる。きっと来年の誕生日をこのメンバーで迎える事は無いなと僕には何となく確信がある。

「ハッピーバースデー、といっても、もう年取るのが嬉しい歳じゃないか、」

それはそうだ、もう僕らは歳をとることで大きくなる事は無い。僕らはもう古くなる一方。

二十歳のときまだまだ自分は若いと感じた。けれどもそれから、一年ごとに僕は少しづつ老いて少しづつ疲れていった。

でもその代わりに、「生き方」みたいなもの覚えて、年を取るたび僕は利口に生きられるようになった。

だから、僕は歳をとることを辛いとは思わない。そう大した感慨なんて無い、でも、ただ淋しかった。

昔仲の良かった友人と疎遠になってしまったような感覚かもしれない。

そしてこれからも歳をとるたび、僕は利口に成って淋しがり屋になってゆく。それは目の前でウイスキーを飲んでいる彼女もきっと同じ。

「誕生日プレゼント!アイラのモルト。」

うれしい、プレゼントと言うからてっきり抱かせてくれるのかと思ったよ。

「何か、作ろうか?」

子作りじゃなくて?

「ソーセージでもやきましょ。」



5月8日(火)20:56 | トラックバック(0) | コメント(0) | シュールレアリズム | 管理

食卓。

大体、結婚って女性のものだと思う。結婚がテーマの小説は殆ど女性が書いたり主役だし、マリッジブルーも女性の物だし、結婚式だってしたいと思うのは女性の方でしょ。

だから、男の目線から結婚とか考えるとどうなるかなって?

「ははは、彼女も居ないのにそんな事考えてるの、笑っていいですか?」

笑ってもいいよ。でも君はどう思う?

「日本のさ、結婚って打算的だから駄目。家事してもらおうとか、旦那の給料で暮らしたいとか、老後見て欲しいとか、そういうふうに楽出来ると思って結婚するから、楽できないといやん成っちゃって、相手の事も好きでなくなったりするんだと思う。」

そうかもなと僕。みんな小さい頃は、誰でも出来ると思っている結婚、確かに結婚の内実は誰にでも出来るような事だと思う。

でも、結婚にまで至る道は、結構な難易度だ。まず好きな人を探して、その好きな人に他に好きな人が居ないか、既婚かどうか調べたり、その人が、自分のことが好きか訊いてみたり、両想いだと解っても、デートという面接を繰り返して、それが上手くいったら、最終面接、相手の親に会って挨拶しないとならない。結婚って就職活動に似ている。

ちゃんと就職活動しないと、いざ入社してから、その会社と自分がミスマッチだと気づいて、嫌な思いしたり、直ぐ辞めたくなったり。

「男性的な考えだな。」

そりゃそうだろう。僕は男だから、仕方ないさ。「仕方ないんだ?」と何か諦めたようにメイドさん。

「でも、そうかもしれない。日本的な結婚って、就職活動そのものかも、だって昔の農家の嫁なんて、相手の家の労働力兼、子作り担当主任みたいなものだもの。愛なんて二次的なものかもしれない。」

愛か・・・愛ってなんだろ?恋はした事あるから解るけど、愛は良くわからない。恋の進化系が愛なのか?よく恋は自分本位のもので、愛は相手本位のものだと言うけど、そんな工場で大量生産されたような、安っぽい理由でいいのかな?

「愛と恋の話は前にしたじゃないですか、それに、私たちはそういうこと語り合う関係じゃないな。今夜の夕飯は何にします?」

今夜の夕飯か、冷蔵庫にあるものでいいよ。

「じゃあ、ビール?」

それでもいいよ。「馬鹿みたい。」僕らは二人そろって久しぶりに笑った。



5月7日(月)14:46 | トラックバック(0) | コメント(0) | シュールレアリズム | 管理


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