歩けるまで。 |
|
| 週末、僕らはなるべく歩くようにしている。
といっても、近くのスーパーとか八百屋とかカラオケ店ぐらいまでだけど。
僕はただ歩くのはどちらかといえば嫌いだ。時間がかかるし、疲れる。歩くぐらいなら、自転車に乗った方がずっと速いし疲れない。移動に使用する時間は少なければ少ないほど合理的というものだ。
でも、僕は何か目的地を目指して、一歩一歩いていくのは嫌いじゃない。
歩いて目的地に近づいている時、僕は僕の意思で死と戦っている気がする。
死はこの上ない安定だ。この世の万物は常に物理法則にのっとって、安定への道をひた走る。ヤカンから出た水蒸気は、常温の水にほっておけば戻りたがるし、持ち上げたリンゴも、手を放せば床に落ちる。
この世の万物は何一つとして、安定を好まないはずは無いのだ。そしてそれは僕の体を構成しているたんぱく質も同じ。たんぱく質は分解されて、原始の海に帰ることを望んでる。
僕の体は僕の死を望んでいるのだ。
だから、僕にとって最大の敵は僕の体だ。その体の思う壺にならないように僕は歩いて、体を運動エネルギーと位置エネルギーで一杯にしようと努力している。
でも、歩くだけでは、とてもじゃないが退屈だ。だから目標として目的地が必要だし、連れがいればなお退屈しない。
「今日は何食べる?」
そうだね、なんにしようかな?
僕らはそんな話をしながら歩いてる。きっと僕らは将来的にこの体に勝てなくなる。それは老親や死人を見れば一目両全だ。僕らの体はは死の誘惑にに勝てない。
でもそれはあんまりにも癪な話だ。でも、それでも僕は勝てないって知っている。だから、僕じゃない誰かに、この戦いを続けてもらいたいのだ。戦い続けさえすれば、もしかしたら、いつか勝てるかもしれない。
もし、僕の後継者がそれに負けないでいてくれたら、こんなうれしい事は無い。
そう、それが親になるって事なんじゃないだろうか?
「親子丼が可愛そう。」とメイドさん。
結局、僕らに親になる勇気は無いのだ。
| |
|
5月12日(土)21:11 | トラックバック(0) | コメント(0) | シュールレアリズム | 管理
|