兄目線でアニメ
 
アニメに対する、視点、論点、あと,メイドさんとか、自作PCとか、鉄道とか酒とかな話。
 



2009年8月を表示

夏はダメダァ

夏は嫌いな萌兄です。

また放置プレイしてしまったデスよ。最近、公私共に色々あって忙しいのですよね。

まあ、でも何ていうか、夏は喉ばかり渇いてビールばかりになってしまいますよね。しまいましたよね。しまわれてしまったのですね。

暗い暗い土の底に。



8月20日(木)21:20 | トラックバック(0) | コメント(0) | お酒 | 管理

宗教論

宗教の残念なところといえば、それは神と人とのレベルが違いすぎるというところでありまして、例えば無神論者の方々は、神や宗教は文化創生の際に人が作り出したものであって、神の全能性は人類の総体としての知恵や力の域を脱さないし、人類の総体としての力は神の全能性に負けずとも劣らないものだと言うのです。
しかしながら、神の全能性というのは無限であるのが前提なのです。特に一神教の神様にとってこれは欠く事のできない要素の一つです。しかしながら無神論者の言う人類の総体としての力というのは、どうしても無限とはいえません。60億の人口が100億に成っても、全人類が皆、高学歴になり研究に明け暮れたとしても、人類の知や力は、数字で計れてしまう、有限なものにどうしても止まってしまうのです。
しかし神というのは、そういったものを超越した、無限の全能性を持った存在ですので、無神論者の言う人類の総体の力など、神にとっては塵の一つとしても映らないものなのです。この時点で無神論者のいう無神論は論駁されてしまうのですが、だからといって神様を信じれば救われるかといえばそうでもないのが事実です。
神様は先ほども説明したとおり無限の全能性を持っています。神様にとってみれば人間など塵の一つとしてもその目には映っては居ないでしょうが、神様は全能なのでそんな塵の一つも見逃さず救ってあげようと考えるでしょう。しかしここで問題があります。神様は全能なのでとても素晴らしい教えを人間たちに授けてくれるのですが、人間達は神様に比べてあまりにもバカすぎるので、神様の教えを上手く理解できません。神様は全能なので馬鹿にでも解る様に、解りやすく人間達に自らの教えを説いているのですが、それにもまして人間は馬鹿なので何を聞いてもよく解りません。
これは簡単に言うと、任天堂Wiiを持っていない孫に、おじいちゃんが今人気だからとモンスターハンター3を買ってやるのと同じようなものです。Wiiさえあればモンスターハンター3を遊びつくし、内容を知る事が出来ますが、孫にはWiiがありません、孫はソフトのパッケージとか説明書とかを読んで、ああ、こんなゲームなんだなと知ろうとしますが、やはり実際にゲームをしないことにはその内容を十分理解する事など出来ないのです。
神様からの教えも同じです。確かに経典や宗教として、ゲームの説明書と同じように神の教えの欠片は覗くことが出来ても、全能性の無い我々人類には全知全能の神様の教えて下さった教えを生のまま理解するなんてことは事は馬鹿すぎて出来ないのです。そして理解できないならまだしも、勘違いをする人々も現れます。例えば、説明書やパッケージイラストしか見ていない孫は、イラストや説明文から妄想をして、僕ならグラギアスなんて5分で狩れるなとか、考え始めたりします。そして同じWiiを持っていないけれど、親戚にモンスターハンター3を買ってもらってしまった哀れな子供たちと、妄想の仲でのモンスターハンター武勇伝を語り始めるのです。
人にとっての宗教もこれと同じで、神様は一つの教えしか授けていないのに、人々はおのおの勘違いした、妄想の中の神様の教えを中学生並みの大げさな誇張を加えて話し始めるものなので、いつの間にか色んな宗教が出来てしまうわけです。そんで持って、あいつの解釈はおかしいとか言って戦争とか始めるので馬鹿の二度塗り三度塗りです。馬鹿さにかけては人類も全能性があるのかなとも思ってしまうぐらいです。そしてこういったところが宗教の残念なところなのです。
元々、人が幸せに生きるためにあった宗教が人を傷つけている世の、もうちょっと人は神様が居るとしたら神様の本当に言いたかった事を理解しようと努力するべきですし、神が居ないのならば、宗教以外のところで人類はもっと力を入れて頑張るべきです。でも困った事に、人は神が居るのか居ないのか、そういう事が解らないほど馬鹿で愛らしいのがこれまた残念な事なのですが。



8月4日(火)21:28 | トラックバック(0) | コメント(0) | シュールレアリズム | 管理


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