兄目線でアニメ
 
アニメに対する、視点、論点、あと,メイドさんとか、自作PCとか、鉄道とか酒とかな話。
 



2009年12月を表示

結局メイドオチ

たぶん今年の更新は今日が最後に成ると思われるので、ここで今年の総括をしておきたいと思うのでした。

今年も結局、メイドさん一色の一年でした。家を買っても、婚活していても、仕事で疲れ果てても、行き着くところはメイドさんでした。

メイドさん・・・幻想でも、妄想でもなく、メイドさんという存在は、まるで影のように主人に巣喰う。
影は切り離す事が出来ないように、メイドさんに巣食われた人間からメイドさんを引き剥がす事は不可能に近い。

いや、だからといって、絶対に出来ないというわけじゃない。影を引き剥がす方法が無いのと同じように・・・光の無いと事では影は存在できないのだから、しかし、それは影をはがしたのではなくて、自分の影以外の影と、自分の影が合体してしまっているだけなのではなかろうか?

ならば、メイドさんを引き剥がすことは、自分のメイドさんとその他のメイドさんの区別がなくなるのと等しい。

目の見えない、光を知らない人間に影という概念が無い、しかし一度でも光というものを知ってしまっては、もう影からは逃れられない、逃れるには光の無い影の集合体に沈むという行為によってのみ達成できるが、それ自体、本来の意味で(例えば光のある空間で自分の影を切り離すとか)影から逃れているわけでなく、気を紛らわせる程度の事だ。

メイドさんも同じで、一度メイドさんという存在を知ってしまえばもうメイドさんから逃れる事は出来ない。自分のメイドさんから逃れるために、メイドさん達の海に身を投じようとも、それは深みにはまるだけである。もはや萌兄はその域に達してしまっている。

闇の中では、自らの影が、世界の影と一体化する・・・メイドさんの海の中では、自分のメイドさんがやわらかなメイドさん達の中に溶けて、自分のメイドさんが世界のメイドさんと一体化する。世界中のメイドさんという存在が僕に巣食う。

これが、メイドさんを通して世界を見るということだ。

これからも、僕の視界には、メイドさんという存在が色眼鏡のようにかぶさり続ける。



12月26日(土)21:52 | トラックバック(0) | コメント(0) | メイドさん | 管理

そこに存在する冷気

そこには奴隷たちが居た。奴隷たちは色々な使い方をされているのだ。例えば、家事をする道具として、愛玩動物として、自らの性的な欲望を晴らすための玩具として、メイドさんと呼ばれる存在は売買の対象になっている。

酷い話だと彼等は言ったが、しかし程度の差こそあれ僕らも資本主義社会で飼われる奴隷の一員である。奴隷のうさを晴らすための奴隷。奴隷制を維持するための奴隷。奴隷の中の奴隷。

最近じゃ子供を産まされるものも居るらしい。自分の子供じゃなくて、他人の子供を産まされるのだ。病気や事故で子宮を失ってしまった女性の変わりに、彼等夫婦の受精卵を着床させられて、その胎内で他人の子を育てるのである。そういうふうにメイドさんという奴隷を使う人々も増えている。

問題は多々あるが、それで救われている人も大勢居るし、当のメイドさんの中にも其の使命に誇りを持っている者も居るという。

僕のメイドさんは其の事をどう思っているのだろうか?子供を胎内で育てているうちに情が移ってしまって、産んだ子供を渡さないメイドさんが居たり、メイドさんが子供に必要以上に愛情を持ち接する事に我慢できない母親も居るという。

メイドさんは黙ったままだ。メイドさんの卵細胞を使って子供を作ったらどうなるか?メイドさんは母親になれるのだろうか?それともメイドさんのままだろうか?この狭い家で僕とメイドさんは二人きりで生きている。



12月12日(土)18:25 | トラックバック(0) | コメント(0) | メイドさん | 管理


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