カンガルーシンドローム |
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| カンガルーという生き物がいる。阿部公房も村上春樹もカンガルーを題材に小説を書いていたっけ。
まあ、それを考慮しなくても、とにかくカンガルーは不思議な生き物だ。
「だってお腹に袋があるなんて素敵じゃない。」メイドさんはそう言って、時分のエプロンに縫い付けてあるポケットに手を入れる。「ここに赤ちゃんを入れるんですよ。赤ちゃんとずっと一緒の母親も、お母さんとずっと一緒の赤ちゃんも凄く幸せだと思います。」
「人間の母親だって体の外の袋じゃないけれど、妊娠中はずっと赤ちゃんと一緒じゃないかい。」
「でも、お腹の中じゃ赤ちゃんの顔が見えませんもの、それにカンガルーはお父さんも袋があるような気が、」
「カンガルーのオスに袋なんて有ったっけ?」そうは思ってみても、僕らがカンガルーを語るときには袋が有るって事を前提に語っているわけだから、やっぱりオスにも袋はあるかもな、そうだ袋があるのがカンガルーなんだもの、袋がなくちゃたとえそれがカンガルーだとしてもカンガルーとは呼べないんだ。
僕の頭の中を何千キロも南下したところに空想のオーストラリア大陸が浮かんでいる。その大陸の中心には、片栗粉みたいに粉っぽい砂漠があって、その中心でカンガルーたちがピョンピョンとジャンプして走り回り、キックボクシングに熱中している。
カンガルーはジョンプ力もあればキックボクシングも上手な生き物なのだ。けれども僕ら目はそんなカンガルーの活発な部分なんかには気付かないで、カンガルーの袋に釘付けだ。カンガルーはそれぐらい袋的な生き物なのだ。
砂漠には見渡す限りのカンガルー。中にはワラビーもいるかもしれないけれど、そういうことは大した問題じゃない、また砂漠に風が吹いて砂嵐が起こる。舞い上がった砂から逃げるようにカンガルーたちは子供をお腹の袋にしまって逃げ出した。
でも、オスのカンガルーたちはどうすればいいのか解らない、だって自分に袋があるのかどうか知らないから。子供たちも入る袋が足らずに困っている。
砂漠の砂は片栗粉みたいに粉っぽい。
「でも、大丈夫さ、袋なんかなくたって、ちゃんと僕らは大人になれたんだから。」
「そうですか、でも、やっぱり袋はいいと思うんですよ、袋があれば両手空きますし、おっぱいもあげ易いですし・・・」
メイドさんのお腹に袋がある図を想像する。駄目だ、人間はへそが邪魔で上手く袋を付けられない、それに袋があったらメイドさんを抱く時に邪魔なような気がするし、でも袋があればあったで袋プレイとか出来そうだね。
「でも、袋があるって本当に素敵な事だと思うんです、もし私に袋があったら、ご主人様の手を袋の中に入れて暖めてあげたいです。」
「大丈夫、今でも十分暖かいから。」
なんせ、砂漠の真ん中では片栗粉みたいに粉っぽい、熱い熱い砂嵐が吹きすさいでいるぐらいだもの。
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7月1日(日)17:16 | トラックバック(0) | コメント(0) | シュールレアリズム | 管理
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