兄目線でアニメ
 
アニメに対する、視点、論点、あと,メイドさんとか、自作PCとか、鉄道とか酒とかな話。
 



小説・文芸
~説明~
小説に対する感想や、自作した文芸作品を掲載

間違いようのない記号

夕焼けが、ウイスキー色だとは僕も知らなかったから、その日の光景にはかなりの驚きがあった。

薄墨色にくすんだ積乱雲に夕日に成りつつあるオレンジ色まではまだ行かない黄色の混じった、その光が投影されて、さらに西の空に広がる紫の闇がその表面に陰影を加えている。

「バーボンウイスキーみたいに小麦色なのね。」メイドさんはそう言って、スコッチを飲み始めた。きっとあと数分もすれば、夕日は赤みを増して、空の色もバーボンからスコッチに変わっていくだろう。

「何ていうかね、こうしていると本当に残念に思うんだ、もし人類が言葉より先にウイスキーを作っていたら、この世界はもっと平和だったんじゃないかって・・・」

「確かに、同じウイスキーを一緒に飲んだ瞬間は同じ感傷に浸れる気がするな、言葉なんて単なる思考の近似値だけど、ウイスキーはそれ以上の繊細さで私たちに問いかけてくれる、きっとセックスした時より分かり合えるんじゃないかって。」

「つまらない話だね。」

「ええ、本当に。」

「でも、こんな話をしながら、君とウイスキーを飲むために僕は生まれたのかもしれないな。」夕日は赤みを増して、そのうち薄い紫の幕がその前面に何枚もかめられてゆく、そろそろ僕等がここに来た、目的も達成できる時間が来るだろう。

「亀を捕まえるのよ!」メイドさんはそうスタートの合図をする。

僕はモリを持って砂浜を駆け出した。こういう満月の夜に亀は、この辺りに卵を生みつける習性があるのだ。

「ほら、ご主人様。前方二時の方向に亀一匹捕捉、速やかな捕獲または捕殺を!」メイドさんもおっぱい揺らしながら走り出す。

まずは爆竹とロケット花火で亀を驚かせて、海に逃げないように牽制する、亀を水に近づけてはいけない亀は危険な生き物なのだ。

どざあっ、砂浜が破裂し亀が現れる。流石は亀だ、海から現れると見せかけておいて、砂の中から飛び出すとは・・・

「早くっ、先手必勝って言うじゃない!」メイドさんがロケット花火に火をつけて亀に向けて投げ放つ。

しゅぽ、しゅぽーっ、花火は亀を大きくそれ。パァーン、空中に閃光の花が咲く。

「これだから、メイドさんは・・・」僕は十分に亀に近づき、爆竹に日を点火し、直接亀に投げつける。

ハパパパパパパァーン!爆竹は亀の甲羅の上で破裂する。亀は少しばかり動揺した様子をみせたものの、すぐに調子を取り戻し、我々に向かい走り寄る。

「亀も大したものね、向こうから仕掛けてくるつもりよ!」

メイドさんがそう叫んだ時にはもう遅かった、メイドさんは亀のタックルをもろに受け砂浜に突っ伏した、そうだこれが僕の本当の目的だったのだ、僕は倒れたメイドさんの上に覆いかぶさった。

「もうっ、結局そういう事になってしまうのね。」メイドさんは諦めたように、それでも楽しそうに事を始める。亀はその横で産卵を始めた。今日は本当に見事な満月の夜だ。



7月11日(水)21:35 | トラックバック(0) | コメント(0) | 小説・文芸 | 管理

牡丹の花は首から落ちる。

最近我がブログは少々セクハラ傾向ではないかという議論が持ち上がっていますが、僕にはそういう話が全く理解できません。

僕は全くそんなつもりはないのです。僕はただ純粋に文学的な冒険をしているだけなのに。

そう、その冒険の道中が、たまたまエッチな石造のある遺跡だったり、砂漠の真ん中のオアシスのハーレムだったり、夜の盛り場だったり、それだけなんですよ。

それでもセクハラとおっしゃるのなら、私たちは一体なんだというのです。どんなに高貴な人間だって所詮は親がエッチして出来た子供じゃないですか!

ああ、神(おっぱいメイド教の僕にとっては、厳密には違うけれども、カンタンに言えば神イコールおっぱいなだったりするのだけれど)よ、どおして僕は皆に理解されないのでしょうか?

「理解されたいとも思っていないくせに」

そうかもしれないね。でも、もし信じてくれる人が増えればだ、僕は教祖様だよ、未来の億万長者さ。

だから、僕のメイドさんに成れば本当に楽して暮らせるさ。

「私は楽をするつもりなどございません、地獄の業火に焼かれながら腸を抉り出され、それがちぎれて漏れ出した汚物を焼けて爛れた肌に擦り付けられたとしても、ご主人様の為ならどんな事でもするつもりでございまして。」

ははは、そういうことか。君は本当のメイドさんなんだね。これは押し倒さないわけにはいかないな。

「だめですよ、そんなことしたら、本当にこのブログはセクハラブログになってしまいますよ。」

本当にって、じゃあ今までは何だったのかな?このブログを僕はそういうつもりで書いているつもりはないけれど、やっぱりセクハラなブログであることには変わりないんじゃないかな。

結局のところ信者いない神様が存在しないのと同じであるのと一緒で、閲覧者のいないブログもまた存在しないのと同じ、だからこのブログは今読んでいるあなたたち観察者のものであって、今ここで書いている僕の手をもう離れてしまっているものであって・・・

だから、あなたがセクハラと思っているならセクハラでかまわない、ただ一つだけ僕に発言することが許されるのならこれだけは言っておきたいのだ。

そう、僕は無実なんだ。



7月5日(木)21:51 | トラックバック(0) | コメント(0) | 小説・文芸 | 管理

体験版的な。

今書いている私小説の最初のくだりでも載せます。


僕も気づけば、もう結構いい年だ。それでこの度、いい機会だから私小説をここに残そうと思うのだ。

「これは僕という人間の私小説だ。」そう短歌をきっておきながら、僕みたいに考え事が大好きな人間は、私小説というものは本当にありうるんだろうか?とかなんとか考えてしまう。

私小説ってことは、「僕」一人の身の上に起こったことや、感じた事を書かなければ成らないはずなのに、僕は昨日の僕と今日の僕、明日の僕が同じ人物なんだという、連続性をどうも信じられない、特に沢山酒を飲んだ時に書いた文章ときたら、同じ人間が書いたものとは思えないほどで、まあ、そういった思想的な問題は抜きにして、物理的にも実際、人間の体ってのは、半年もたてば体のすべての細胞が入れ替わるって言うし、やっぱり僕は僕のようで僕で無いらしいんだな。
だから、僕の書く私小説は、僕っぽい人の、でも僕で無い人の、でも僕以外には誰一人書けない私小説なんだと思う。

さて、ここから小説が始まりますが、一応これは僕の私小説だから、僕というキャラクターについてちょっと語っておこうと思います。
僕の名前は・・・名前や生い立ちなんて作者の紹介のページを見れば解ると思うので、ここではやはり割愛することにします。
じゃあ、何についてここで話すかと考えると、やっぱり何で僕はこうやって、文章作品を書いているのか、そのことについて、まず語っておくと、この私小説を読んでゆく上で、皆さんにとっては主人公のキャラクターを掴む上での、ちょっとしたヒントになるかもしれまんので、それについて少し書いてみようと思います。

僕は小さい頃、絵を描くことがとても好きで、小学校は嫌いだったけれど、図工の時間はそこそこ楽しみだったわけで。
けれども、小学校の図工なんて、テーマを決められてそれに基づいて描かされるだけで、僕はテーマを決められて描くのがすきではなかったけれど、それでも何か描けるのが嬉しかったし、何か描けば自動的に毎年のように小学校の図画コンクールで入選したりして、周りから褒められたたりしたものだからやっぱり僕は絵が好きだったんだな。
そんで、そのうち中学や高校生になった。僕はすぐに美術部に入り、気楽に絵を描いたり、粘度をこねたり、金属を削ったり、ミシンがけしたり、いろいろな素材に触れていった。
でも、その頃になると、僕の作品たちは、本当にもっと絵が好きな人たちや、元々絵が上手い人たちの作品に付いて行けなくなり、僕は進路としての美術をあきらめるより他なくなってしまう。

 けれども、僕は悲しんだりはしなかった。僕は何も絵や彫刻でなくても、何か作れればよかったのだ。僕は絵(といっても、いつの間にかイラストや漫画を描くようになっていましたが)も趣味として続けたけれど、それ以上に文章を書くことに熱中した。
そして大学も文章を書く上でのネタが沢山なそうな哲学科に入り、何か胸に痞えたものを書き残すため、パソコンやワープロソフトも買ったりもした。
しかし、やっぱり、天才とそうでない人間の差というものは大きくて、先人たちの本を読めば読むほど自分の作品の稚拙さばかり目立ち、同人雑誌程度のものは仲間と作ったりするものの、自信過剰な現代的な若者でもなかった僕は、表立って出版社に売り込みに行くようなこともしなかったから、新卒の就職状況も良くなってきたこともあり、作家になろう何て夢はおいといて、そのまま普通に就職したわけだ。
でも結局、進路として美術を諦めた後も絵を描き続けたように、僕はまだ文章を書き続けてしまっていてこの文章ができているわけ。

僕が思うに、僕の才能は天才と呼ぶにはあまりにも隙が多すぎるし、技術力も幼稚なものだけど、単なる凡人といえるほど、何かを作るうえでの発想力とか目線みたいなものが、ありきたりというわけじゃないような気がするわけで。非凡は非凡でも、優秀な非凡じゃなくて、凡庸の道を少しずれてしまった非凡。

つまりボーリングで言うガターだね。

きっと、そういうのが一番、危ないんだと思う。なまじ点で駄目だと自分では思っていないし、周りの人に作品を見せると、結構いい返事が返ってきたりする。こうなってくると、自分がまだ、やれるんじゃないかとか、そういう変な自信を持ってしまうのだ。
しかも定職に付いている分、学生時代みたいに作家を進路に考えたりだとか、本当の作家のように、生活もかかっていないから、結構気楽に書けてしまうのだ。

そうだよ、よく酒飲まないと生きていけない人っているし、タバコ吸わないと駄目な人もいる。賭け事しないとやっていけない人。常時、恋愛してないと元気のない人。そういう中毒的なものに依存してしまうのが人間なのならば、さしずめ僕は何か書いていないと駄目な人間なんだろうな。
何となく書いていないと、内側から湧いて出てくるイメージの内圧に皮膚が耐えかねて破裂しそうな感じがあるんだな。それを抑えるためというか・・・まあ、単なる趣味として書いてるのかもしれないけれど。

結局、そういう気楽な考えで書かれたのがこの私小説。
説明おしまい、それでは、ここから本編に入ります。楽しんでくれると、嬉しいですし、この作品本来の目的も果たせるというものだ・・・



6月16日(土)21:52 | トラックバック(0) | コメント(0) | 小説・文芸 | 管理

日本人に私小説は有り得るか?

日本人には、英語圏と違い一人称というものがいっぱい有りますよね。

例えば、萌兄は文章では「僕」を使うけど、サークルの仲間内では「俺」を使うこともあるわけで、公式な場所ではもちろん「私」を使いますよね。

まあ、ただ言葉が違うだけなら、問題は無いわけですけれど、本当のところ自分の態度やキャラクターも一人称に何を使うかによってだいぶ変わってくるわけですよ。

「俺」を使うときは、サークルでも年長の方だから兄貴肌のキャラを演じるわけだし(演じるといっても、わざわざ演じるって感じでなくて、自然にそう演じ分けてるって感じ。)「僕」を使うときは、先輩の前で少し控えめな感じ、「私」を使うときは、仕事でお客さんと接したりする時だから、言ったって真面目に。人は少なからず多重人格の気質があるものなのだ。

そんな具合に、日本人には、一定の一律の一人称が無い分、一貫した自我も文章として表現しづらいんじゃないかと考えたわけだ。そう、どうしても、私小説の場合、一人称を使わないわけにはいきずらいから、どうしても主人公の性格が、一人称に使われる単語のトーンに引きずられてしまうのだ。

まあ、そんなわけで、日本語で私小説を書くのは少し難しさがあるなと少し思ってしまう一方で、それをうまく利用出来れば面白いかもねとかも思うよね。



6月10日(日)20:51 | トラックバック(0) | コメント(0) | 小説・文芸 | 管理

葬儀会場の小景

大学時代の僕のサークル「熊谷雑文公房」が潰れるらしい。

なんとなく恩師の葬儀に出てる気分だ。

熊谷雑文公房は僕の青春そのものと言ってもいい。それが無くなるのだ。

詳細はよく解ってはいない。書類を偽造してそれがバレて見せしめに張り付けにされるんだって・・・

知らせを聞いた時には漠然としてしまって、でも今はとても淋しくて悲しい。

でもメイドさんがいればそれでいいんだがね。



5月25日(金)21:52 | トラックバック(0) | コメント(0) | 小説・文芸 | 管理


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