兄目線でアニメ
 
アニメに対する、視点、論点、あと,メイドさんとか、自作PCとか、鉄道とか酒とかな話。
 



2006年10月を表示

コスプレ曜日=ハロウィン

欧米で、コスプレに対する偏見が少ないのは、小さい頃からハロウィンで皆、多かれ少なかれコスプレしてるかななのかね?

そんなわけで萌兄です。

何となく、吸血鬼っ子と淫獣を描いてみた。

ストーリーとしては、吸血鬼少女のレイチェルは胸をパットで大きく見せている。それが中心になって、フリークスたちの間で広がる珍道中とか、妖魔大戦とかね。



10月15日(日)14:56 | トラックバック(0) | コメント(2) | 漫画、イラスト | 管理

メイドさんは着たままについての議論。

皮膚というのは難しい。ここで議論する皮膚とは、単なる医学的に定義される皮膚ではなく、精神現象としての皮膚だ。

皮膚と言うのは外界と内界の境だから、とても曖昧だ。ちなみに赤ん坊にはまだ、自分の外と自分の中の境界が頭に概念として入っていないそうで、そうなってくると皮膚というものは彼らにとっては存在しなくなる。

皮膚は、人が成長して、鏡像段階を経て、やっと自分の形(目と鼻と口と耳が顔にあって、髪の毛が生えてて、手足が四本あって、胴体も胸とか腹とかしりがあるのが自分の形らしいと、認識すること)を知るわけだ。そしてそのとき初めて、皮膚と言うものが、自分の表面に位置づけられる。それ以前の赤ん坊では、外も内も無いから、皮膚は世界そのものだ。

そうやって、人は『世界』から切り離される。しかしながら、すべての人が同じような皮膚に対する認識を持っているかと言えばそうじゃない。文化や個人の価値観でかなり変わってくる。

例をあげよう。例えば南国の原住民などは、みな殆ど裸の格好で一日を過ごす。日本でも、年配の人はぴっちりした服しか着ないが、若い人の中には、へそだしやすごいミニスカートで、太ももまで露出している人も居る。こういう場合、彼等の皮膚の概念はどうなっているのだろうか?

整理してみよう。何故、人は裸で行動しないのか?寒さや危険から身を守るという意味もあるが、もっと根本的な理由として、裸だと恥ずかしいからということがある。しかし、裸とは一体なんだろう?

南の国の原住民の人々は確かに一般的に裸だ。しかし殆どの場合、腰巻ぐらいはしている。彼等にとって、裸とは腰巻を取った状態だ。しかし、日本人の年配の方の場合、腰巻では無いにしろ、もし少し派手めな露出の多い服装をしたとしても、裸で歩いているように恥ずかしがるだろうし、イスラム圏の女性は、顔の肌さえ出して否場合があり、そこで顔を出して歩いていたとしたなら、一種の露出狂のように言われてしまう。このように、文化や個人の考え方にによって、違いがあるものの、共通して言えるのは、皮膚には『裸に数えられる皮膚』と『裸に数えられない皮膚(つまり露出していい皮膚)』があると言うことだ。

では何故に、皮膚には二種類あるのか?それは動物としての人間と、人間としての人間を分けるためだ。当たり前だけど、人間も生物だから、動物の一種だ。だから食べなきゃいけないし、排泄しなきゃいけないし、増えるためにムフフな事をするし、出産するし、死んだりもする。でも、これを何処でもやっていては、人間は自分が動物と一緒じゃん、やばい野蛮だよこれって、思ってしまう。

そこで、人は、食べる時は料理する、死んだら埋葬するなどして動物的部分の形を変えた。でも、排泄と性交と出産は形を変えようが無い。そこで隠すことにしたのだ。そう、『裸に数えられる皮膚』は隠さないと、人間が動物的な部分を残していると気づいてしまう部分なのだ。だから人は裸になると、人間なのに、他の動物同じになるから恥ずかしいと感じる。

何となく皮膚と言うものが解りかけてきたけれど、それでは、本題に入ろう。では『メイドさん』にとって皮膚とはどこか?メイドさんの皮膚はエプロンドレスだ。

メイドさんにとっては、エプロンドレスが皮膚だから、メイド服を着てお仕事している時は何時も裸でいるようなものだ。だから何時もドキドキしているのだ。これは何時も自分の中の動物性をむき出しにして生活しているということだ。メイドさんにとっては、排泄や性交、出産は日常からはなれたものではなくて、何時もそこにあるものだ。だから、どこでそれが起こってもおかしくは無いが、排泄は部屋が汚れるのでトイレに行くし。出産は危険なので病院に行く。しかし性的な行為は、そういう制約が無いから、すぐにご主人様を襲ってしまうのだ。

こういうわけで、メイドさんはもともと裸なわけなので、ご主人様と情事をするときも着たままなのだと推察出来る。



10月14日(土)17:36 | トラックバック(0) | コメント(0) | メイドさん | 管理

新番組の感想、後編

『メイド汁』や『メイド契約』についてみんな知りたくて仕方ないんだろうね。何てゆうか、このブログのタイトル、『エロメイドブログ』とかに変えたほうがいいかなとか思うけど、男は黙って、アニメの感想。

(新)ゴードギアス★★★★☆・・・機械が主に車輪で動いているのがいい、謎の少女C.Cが何かエロイかんじでいい。でもルルーシュがC.Cと契約するシーンはもっと、こう、絡みとか入った方が、それっぽくていいと思うけどね。作品としては、何故かクランプ学園を思いださせる。

(新)妖奇士★★★☆☆・・・まあ、TBSの土曜6時は色んな意味で面白いけど、この作品は普通に面白かった。ただ、説明とか省いた方がもっと面白いと思う。僕らは歴史の勉強をするためにアニメを見るのではない。時間を潰すためにアニメを見るのだ。でも、ブラッドプラスより数ランク面白い。

(新)ブラックラグーン★★★★☆・・・新番組というか、ひょっこり再開ってかんじ。双子篇はやはりいかれてていい、この番組の大人たちは、口数がやたらと多い人たちばかりなので、言いたいことしか言わない、双子のほうがまともな気がしてしまう。特に姉の方の「私は試してみたいわ、だってイワンはまだ入れたことないんですもの」という言葉は、とても面白い言い回しと思ったけど、声優が金田朋子なので、貧乏姉妹がこんなこと言っちゃって、ムフフと思った。

(新)乙女はお姉さまに恋してる★★★★☆・・・エロい。だいたいのエロゲー系のアニメというものはエロくないのが相場なのに、この作品はエロくて良かった。しかし、女の子にベットの上で抱きつかれて、逆に襲い返さない主人公が怖い。

(新)夜明け前より瑠璃色な★★☆☆☆・・・これも元はエロゲ。でもエロ無い。最初の五分はかなりハードなSF戦争してたのに、急に平和な世の中の話が始まるギャップが何か、物語全体の足を引っ張ってる。

(新)パンプキンシザース★★★★☆・・・歩兵対戦車という設定も面白いし。裏の人格が出てきた主人公の目がイッてるところもいい。話も面白いから、今期見るべき作品の一番手に入れてもいいぐらいだ。

(新)銀色のオリンシス★★★☆☆・・・平井久司は本当に、こういう絵しか描けないよね。とつくづく思う。まあ、それは置いといて、マシンデザインが最高だ。最近のロボットは、みな細身でロボっぽくないのでうんざりしていた。しかしこの話のマシンは車だ。しかもかっこ悪い車だ。最高だ。でも、主人公のマシンは、現代的で、またつまらないデザイン。

(新)くじ引きアンバランス★★★☆☆・・・一番面白いのは予告。一番萌えるのは、後藤邑子の声。まあ、無難な展開の作品ですね。

そういえば、シムーンのゲームが、11月30日に出るけど、それまでシムーンを覚えている人たちはどれだけ居るのだろうか?僕たちには翠玉のリマージョンがないのに・・・



10月13日(金)14:55 | トラックバック(0) | コメント(0) | アニメ | 管理

メイドさんの美しさ

前置きが長いのですが、メイド話です。

「美しい」という言葉は、少々難しい言葉だと思う。例えば、「美しい絵」とか「美しい動作」とか「美しい音色」とか「美しいメイドさん」といった具体的事物に「美しい」という形容詞をつける場合は違和感は無いけれど、「美しい国家」とか「美しい思想」とか「美しい魂」とかいったように、抽象的な概念や事物に対して使われた時、何とも「居づらさ」みたいなものを覚えてしまう。

「美しい」という言葉はとても「美しい」のだけれど、美しいって人間に解るものは、結局、目に見えたり耳で聞くことが出来たりと、知覚できるものぐらいなんじゃないだろうか?だから、「国家」とか「思想」とか「魂」みたいな目に見えないものは、人間にはそれが美しいのか、醜いのか解らない。それなのに何となくカッコいい言い回しなので使っているというのが今の現状なのだと思う。

よく、最近、日本語が崩れてきているといわれるけれど、じゃあ「美しい日本語」って何だ?文章は目に見えるから、綺麗、汚いが解るけど、文章は言葉自体じゃない。言葉というものには決まった形なんか無いのだ。だから文法的に「聞きやすい日本語」はあるとしても「美しい日本語」っていうものは無いのだ。

若い人たちが、昔と違う言い回しで言葉を使っているとか、敬語がおかしいとか言うけど、そういうことを批判する人たちは、江戸時代の日本語をどうして喋らないのだろう?その辺の理屈が良くわからない。

要するに、言葉の問題は別物として、「美しい」という言葉には、かなり強い力がある。だからあんまり使い過ぎない方がいいのだ。

まあ、ここまでは、本当にどうでもいい前置きだ。ここからが本番。さっき、「美しい」は知覚できるものにしか、使うべきじゃないと書いたけど。例えば、急にメイドさんの乳が美しいと、メイドさん自身に言いたくなるとする。しかしメイドさんの乳はエプロンドレスに隠れて見えない。このままじゃ、メイドさんの乳が綺麗なのかそうじゃないのか解らないから、軽率な発言は出来ない。

しかし、知覚というものは、何も視覚だけではない。聴覚もある。しかし耳からメイドさんの乳が美しいかどうかは預かり知れない。それでは嗅覚はどうか?近くに寄ればメイド臭はするだろうけど、その香りが乳からだけのものとは限らない。じゃあ触覚は?確かに触れば形がだいたいわかるから、本当に美しいかどうかわかるかもしれないけれど、メイドさんの乳を触っては、セクハラになる。

最後に残ったのは味覚だ。メイドさんの乳は美味か?この場合、メイドさんの乳の味は、乳の表面を舐めた時の味か?それとも母乳の味なのか?イマイチ見当がつかないし、どちらか解ればいいと思う。しかしここでも問題だ、母乳は妊娠しないと出ないから、メイドさんに孕ませる必要が生じる。

メイドさんを脱がすのはセクハラなので出来ない。我々はこのままでは、メイドさんの乳が美しいかどうか判別できないと思ったが、そんなことは無い。別にメイドさんを妊娠させるのに、メイドさんを脱がせる必要は無いのではないだろうか?メイド服を着たままでいいんじゃないか?そして、メイドさんが母乳を出すようになったら、少しコップにとってもらって、味を確かめれば、メイドさんを脱がさずに、美味かどうか解る。

そう、この方法を使えば、メイドさんにセクハラせずに、メイドさんに乳が美しいか解るのだ、皆さんも試してみては?



10月12日(木)12:34 | トラックバック(0) | コメント(0) | メイドさん | 管理

メイドさんという発明、まとめ

昨日、めいどさんという発明が生まれた要因や、メイドさんの機能についての概要については述べたが、ひとつ大切な事を忘れている。

確かに、メイドさんは、主人様と増えるために開発された生き物だが、確かに繁殖能力はあるものの、本質的に、メイドさんは母に成りえる存在ではないということ。

世の中が進み、恋愛がスパーマーケットで叩き売られる現在は猫も杓子も、愛さえあればとか、子供が出来たとかですぐ結婚するが、メイドさんはそうは行かない。

メイドさんは主人様の奴隷だから、主人様と結婚するということはなかなか難しい。だから、メイドさんが主人様の子を生んだとしても、メイドさんにとって、例えお腹を痛めて産んだ子だとしても、その子供はご主人様の子、つまり、『お嬢様』や『おぼっちゃま』であるのだ。

つまり、メイドさんは、妊娠している最中は我が子であった者に、彼らが生まれた瞬間、使用人にされるということだ。メイドさんはかくも悲しい生き物である。

しかしながら、メイドさんからは『お嬢様』や『おぼっちゃま』しか生まれないのかといえばそれは嘘になる。稀にメイドさんから『メイドさん』が生まれることもあるのだ。

それについては、以下の論文が詳しい。
http://kh5943.run.buttobi.net/meidokyoukasyo1.html



10月11日(水)21:41 | トラックバック(0) | コメント(0) | メイドさん | 管理


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