兄目線でアニメ
 
アニメに対する、視点、論点、あと,メイドさんとか、自作PCとか、鉄道とか酒とかな話。
 



ねえ、少し考えようよ2。

さて、メイド話はここまでにして、本日僕が話したかったのは巫女話なのである。ギャオTVで先日から「神無月の巫女」の再放送が始まったので、このブログをみている西の善きオタクどもはちゃんと見た方が良いなと思ったのでした。この作品は萌兄にとって、5本の指に入る超作品で、話したい事は沢山あるけれど、ネタばれになるので辞めます。

唯一つ言える事は、この作品において色々起こる不幸な事に対して、主人公たちは「(私たちは)神無月の巫女だから」というだけで、すべてすっ飛ばして納得してしまうところがとてもいいと思いました。萌兄もメイドさんの何処が好きかと問われれば「メイドさんだから」と答えるでしょう。恋人の何処が好きと問われて「全部でぇす♪」と答えるのとは訳が違います。存在そのものにまで掘り下げて其れがそうなってしまっているのです。「全部好き」という人は、その恋人が少しづつ老いたり、性格とか食べ物の好みとか、タオルのたたみ方とか変わっても、変わった後の彼、若しくは彼女の全部を好きでいられるのでしょうか?僕にとってのメイドさんはそんなものじゃないんです、メイドさんがたとえ年老いても、病気になっても、一緒にモンハンしてくれなくても、メイドさんはメイドさんでしかあれないのですから、僕がメイドさんを嫌いに成る事は出来ないのです。

神無月の巫女も同じで、主人公たちがどんなに努力しても、戦って勝っても、生まれ変わっても、彼女たちが神無月の巫女である以上、最終回で目にすると思いますが、あれ以外の結末はありえないのです。だって神無月の巫女だから!理不尽でもなんでも、神無月の巫女である以上、仕方ないわけです。

そんな具合で、神無月の巫女を穿った形で見ると面白いです。穿ってない形以外ではいろんな意味で見る事が出来ない話ですけどね。



5月29日(金)10:38 | トラックバック(0) | コメント(0) | シュールレアリズム | 管理

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