第七章『闖入者、眼鏡と生理用品の行方』① |
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| 最初から解っていたのだ何時かここを出て行かなければならないことは、だからこそここを選んだのかもしれない。 だって、きっと僕らは自分たちで自分たちの生活の終止符を付けられるほどの決断力を持っていないことを自覚していた。 自覚していたのに・・・それなのに、僕らは躍起になっていた。何とかして失った日常を取り戻そうとしたかったのだ、しかし、僕らの非日常は出会った日からずっと進行し続けていたのだ、その間にあった家族三人のの微笑ましいとはいえなくもない日常は単なる病気の進行を誤魔化すための麻酔に過ぎなかったのだ。 そう、僕らは全て解っているのだ、理解した上で、日常が死刑宣告を受けた後の世界で、再び日常を演じようとしているのだ。これは狂気だ、狂気は本当に美しいものだなと思えるのはこういう努があるからだ。
「今日、何の日だか知ってる?」ビールを買出しに付き合わされて、疲れて機嫌の少々悪い僕は、あえて答えない。 「何、ふてくされてるさ、もしかして怒ってる?」 「怒ってなんて居ないよ、ただ疲れてるんだ。引越しの事とか考えると、どっと疲れが出るっていうのに、こんな重いもの持たされて(僕は500ミリリットル缶のビールワンケースを抱えている)本当に声も出したくないくらいに、疲れているんだよ。」 「引越しなんて今日はどうでもいいじゃない。それに君は酒屋じゃないか、これくらい軽いもんでしょ。」 「公私混同できる筋肉じゃないんだな。」 「やっぱり怒ってる、あたしが誕生日忘れてたのがそんなに許せないのかい。」 「いや、今日は僕の誕生日なんかじゃないよ。それに誕生日忘れられたからって怒ったりしないさ、一人暮らしをしていた頃は、よく自分で自分の誕生日忘れてたもんさ。」 「馬鹿いっちゃいけない、君の誕生日なんかじゃない。君は自分の娘の三歳の誕生日も忘れてるのかぁ、呆れたもんだ。」
そうか、あれから三年経つのか、本当のところ僕は人形が出来上がった日なんか覚えていなかったし、それ以前に今まで人形の誕生日なんてしたことないのだけれど、メイドさんの気迫に圧されてそう思うより他ない。 「ごめん、ごめん、父親として最悪の失態だ、お詫びにケーキは僕が買おうじゃないか(といっても、家事をやってもらう代わりに食費は全部僕が出しているのだけれど)そうしよう、そうしよう。」 「ガトーショコラなら許そうかな。ちゃんとチョコレートが濃くてずっしり重い奴じゃないと駄目だからね。」
僕がケーキ屋から戻ると、メイドさんと人形はリビングで準備完了の様子。もう待っていられないという感じで、ビールの蓋を開け、「乾杯しよう、はやく乾杯しないと、ビールが一秒一秒、不味くなっていってしまう。」僕も全く同感なので、手洗いうがいを素早く済ますと彼女と二人で命の水にありついた。
僕らはケーキを箸で突付きながら、ウイスキーを飲んでいる。きっと来年の誕生日をこのメンバーで迎える事は無いなと僕には確固たる確信がある。 「ハッピーバースデー、といっても、もう年取るのが嬉しい歳じゃないか、」メイドさんは三歳児のレディに語りかける。 そうだ、人形も、僕らも、もう歳をとることで大きくなる事は無い。僕らはもう古くなる一方なのだ。
二十歳のときまだまだ自分は若いと感じた。けれどもそれから、一年ごとに僕は少しづつ老いて少しづつ疲れていった。 でもその代わりに、「生き方」みたいなもの覚えて、年を取るたび僕は利口に生きられるようになった。 だから、僕は歳をとることを辛いとは思わない。そう大した感慨なんて無い、でも、ただ淋しかった。 昔仲の良かった友人と疎遠になってしまったような感覚かもしれない。そしてこれからも歳をとるたび、僕は利口に成って淋しがり屋になってゆく。それは目の前でビールを飲んでいるメイドさんもきっと同じはず、彼女は僕と離れてもちゃんと生きていけるだろうか? 僕とメイドさんは恋人同士ではないけれど、一緒に暮に暮らしている以上、我々は家族といえなくもない、家族は血のつながりじゃないのだ。だから愛はないにしても、どこかで互いを心の支えにしているような気がするし、現に僕はそうだ。
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9月1日(土)10:42 | トラックバック(0) | コメント(0) | 私小説 | 管理
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