兄目線でアニメ
 
アニメに対する、視点、論点、あと,メイドさんとか、自作PCとか、鉄道とか酒とかな話。
 



第五章、家庭の洗濯機①

普通、日常というものには何らかの非日常が組み込まれている。身近な例で言えば、宝くじが当たったり、雷で隣の家の気が倒れたり、お祭り会場で昔のクラスメイトに再開しやけぼっくりに火がついたりとか、そういうのが日常というルーチンワークの円の中から飛び出した非日常というものだろう。
でも、そういった非日常もさっきの例で言えば、宝くじが当たって例えば家を買い、その家に住む始めれば、宝くじで得た大金は日常の中に組み込まれるし、雷で倒れた木の後に花壇を作ればそこに新しい日常の風景が出来上がる。劇的な再開を果たし、燃えるような恋をした元クラスメイトの二人も今じゃ結婚十年目、互いに日々の生活や家庭を支えあい、長男は来年小学校に入るという。こんな具合に、ぱっと空中に飛び出した非日常の雫
なんてものは、だいたい直ぐに日常という渦に再び吸収されて、いつしかそんなことがあったのかさえ忘れてしまう、そんなものなのだ。

だから僕も油断していたのだ、僕とメイドさん、そして人形。僕らの出会いは、かなり奇抜な非日常だった。でも日常の作る渦は宿命的に強力だ、いつか僕らも落ち着いて日常の渦の底の中心で、時々揺らぐだけの、そんな平凡な関係になれると信じていた。
けれども、よく考えてみれば、いくら僕らの出会いは非日常とはいっても、それが洗濯機の渦からはじけて飛んで直ぐにまた同じ渦に吸収される雫の様なものではなくて、外部からホースか何かで無理やり渦から、サイホンの原理とかで吸い上げられ、空に放たれたものだったのだとしてみれば、もう、洗濯機の中の何時までも安定して続く渦には二度と戻れないんじゃないだろうか?

何時までも何時までも行き場を求めて彷徨う雫。この空は何処まで何処まで落ちても底なんか無くて、僕は何時地面に叩きつけられるのか、気が気じゃないまま落下の恐怖を感じ続ける・・・これと似た不安定な感覚に僕は子供の時から時々苛まれていた。
 なんと言えばいいか、良くわからないけど、急に怖くなる時がある、自分が死んだら何処に行くのか、それ以前にアミノ酸とカルシウムで作られた自分にどうしてこういうよく解らない心みたいなものがあるのかとか、そういうことを考えている今の意識自体、単なる悪夢みたいなもので、本当には存在していないんじゃないかとか、そういうことを考えると、さっきの洗濯機から追い出された雫の話じゃないけれど、よく言う暗い底の無い穴を落下し続けているような気になってしまって、怖くて怖くて、気持ち悪くなってしまう。きっと、大学で哲学をやったのもそういうのが関係しているんだな。

 僕にそんな話を聞かされて、「何、ニヒリストぶってるの、」とメイドさん。
「僕がメランコリックな性格だって知ってるだろう。」
「O型の癖に。」
「血液型と性格は本来全く関係ないんだ、これは科学でも証明されている。女は生まれたときから女じゃないのと一緒さ、スカートを履かされて、赤いランドセルを背負ってピアノ教室に通うから、女は女らしい性格になるんだ。O型の人間も、O型のオーは大雑把のオーだって言われ続けるから大雑把になってしまうんだよ。」
「血液の話がしたかったの?」メイドさんは納まりでも悪いのかレースの付いたカチューシャの位置をしきりに弄っている。「いや違うと思う、何の話だったかな?」

「話してたらお腹空いた。ご飯にでも行こうよ、今週も焼肉にしよう。」

 肉を食べるってことも、死から逃げるための積極的な武器になるだろう。近代になって肉を食べるようになってから、平均寿命も延びたわけだし。



8月19日(日)17:42 | トラックバック(0) | コメント(0) | 私小説 | 管理

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