兄目線でアニメ
 
アニメに対する、視点、論点、あと,メイドさんとか、自作PCとか、鉄道とか酒とかな話。
 



2009年9月7日を表示

このブログの処遇について。

さてさて、問題はどの辺りにあるかである。

そろそろ、このブログに皆さん飽きているのかな、いや違います。萌兄が飽きてしまっているのです。

先日の事です。いや、先日に限った事じゃない、暫らくあっていなかった友人と酒を飲む機会がありました、そうすると萌兄の事をヤツレたとか元気無いだとかそういってきたのです。

しかし、それは彼女に限った事でなく、他の人間に合ってもそのような事を言われるのです。もはや言いたい放題です。いや萌兄にしてみれば言われたい放題。

にしてみても、最近は会社にやられたい放題、傲慢になってゆく上層部。疲弊していく現場。そんな毎日の中でというより「損な毎日」と言ったほうが良いのかもしれませんが、最近の僕を見て、幸せそうだねと言ってくれるような方はもうこの世には居ないようです。

さて、何処からおかしくなってしまったのでしょうか?最初から萌兄は狂って居ますが、その狂った人格さえもはや追い詰められているという事でしょうか、最近は絵も文章も筆が一向に進みません、自分が何を表現したいのか解らなくなってしまっているのでしょうか?

婚活も進みません、住活も進みません、世の中はどんどん悪くなっているせいか、家族や友人の間でも暗い出来事が起こっています。それを救う事なんて、巣食う余裕なんて、萌兄で無くても、世の中の大多数の人がもはや持つ事が出来ない状態なのでしょう。

なぜ、こんな事になってしまったのでしょうか、だれがこんな事を望んだのでしょうか?皆で望んでこんな世の中を作ってしまったのでしょうか?

もう、何を書こうとも、もう世の中に、文学というものが力を持てた時代と違うような気がします。サルトルは飢えた子供に文学が何をしてやれるかと言いました。彼自身の思想が好きか嫌いかは別として、あの頃彼等は、文学が頑張る事で、社会を良くして、回りまわって困っている人を助けられると信じる事が出来たわけです。

信じる事が出来るという事ほど、幸せな事はありませんね、この国の文学は、もはやミステリー小説とか、話題本とか、ラノベの為にあるだけです。趣味のための文学しかもうこの国では受け入れられなくなってしまいました。

ニーチェは神は死んだ(我々が殺したのだ)と言いましたが、萌兄は文学は死んだとここで言ってやります。いや、我々が文学を殺してしまったのです。売れる本を売る。売れる雑誌を売る。文学の本質は売れるものを書くとかそういうことじゃ無かったはずです。

漫画もそうです、売れる漫画を描きたくて、みんな漫画家になるんですか?違うでしょ、自分の描きたい、描くべき漫画を描きたかったから漫画描きになったんじゃないの?

じゃあ、音楽は?映画は?その他色々あるかもしれません、でも、みんな何処かで間違ってしまった。世の中を変える為の文学を始めとするメディアが、世の中に服従し飼いならされ、世の中に都合のいい物には報酬が支払われる。そういう社会構造を我々は作ってしまった。

ああ、じゃあ、このブログはどうなのでしょう?来店数は依然伸びません、でも萌兄はそれでいいと思っています。萌兄の「メイドさん」を始めとする崇高な理念をつまらないけれど見てやるかと思ってくださる方だけがこのブログに集まればいいのです。皆さんは見にきても一向にコメントを残そうとはしませんが、それでもかまいません。

あと少しだけでも、何か、言葉ではなかなか言い表せないのですが、世の中を改善できる指標みたいな物を残せればと思うのですが、それには実力も時間も覚悟も萌兄にはたらなさ過ぎるのです。

先日、友人にも言われましたが、萌兄はいろいろな事を抱え込みすぎるところがあるそうです、でも、あなた方は、目の前で死にそうな人が居るのに助けようとは思わないのですか?この国の死にそうなというか、死んでしまった文学に何かしてやれる事は無いか、考えるのが、ものを書く人間の本来のスタンスなのではと思ったので、もうちょっとブログも続けようかなと思う今日この頃。



9月7日(月)18:08 | トラックバック(0) | コメント(0) | 社会 | 管理


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