兄目線でアニメ
 
アニメに対する、視点、論点、あと,メイドさんとか、自作PCとか、鉄道とか酒とかな話。
 



物語の始まりと終わりと中間と。

さて10月末から11月初旬にかけては萌兄にとっていろいろな事を思わせるニュースが続いたのでそれについて少し話してみようカナとか何とか。

まず10月30日に思想家のレヴィストロース氏が100歳の長寿で亡くなりました。萌兄的にはかなり影響を受けた人物だったので残念な事です。

あと11月9日にベルリンの壁が壊されてから20年周年だったそうです。

どちらも西洋では結構なニュースになったそうですが、日本じゃイマイチでしたね。

でも、このイマイチさは日本固有のものとかではないと思います。

確かに、日本人は不勉強なところはありますが、何よりも、もう皆思想とかに興味を持たなくなってしまった事が原因なのではないかという事で。

例えば、今の若者に昔冷戦があったけれど、何でアメリカとソ連はいがみ合ってたのかときいても解らない人(テストの答え的なことをいえても思想の根底にあるものとかは解らないと思う)が多いだろうし、小泉政権で構造改革とかあれだけ言っていたけれど、その考え方の源流である構造主義の考え方を知ってる人は微々たるものだろうし、その第一人者といっても過言ではないレヴィストロースを知っている人はもっと少ないはずなのだ。

さて、冷戦が終わってこの世界から思想というものが負っていた一種の心のささえ、みたいな物が無くなってから20年経った、その後はアメリカ主導の自由主義政権による資本主義経済こそが正しい社会で、その中で豊かな生活をすることこそが、一種のイデオロギーとして一部の人を支えてきた。

でも、昨年の年末、大恐慌が起きた、まだどの国も立ち直れて居ないし、悪くなる一方だ。そんな社会に立たされている僕らの心境は、冷戦終結前夜の東側諸国の市民たちに似ている野かもしれない。

みんなお金儲けの哲学、スポーツで、芸術で、芸能界で成功している人の成功哲学みたいな本を読み漁って、自分もこうなれたらなと考える、期待できる世の中が嘗ては存在したのかもしれない、でもそれはもう訪れる事の無い未来なのかもしれない。成功すればどうにかなるとかそういうものではなくて、世の中全部が共倒れしてしまうんじゃないかと、それに皆気が付きはじめている。

成功できるかというより、生き残れるかどうかが危ぶまれている。20年前の東側諸国の人々は、そんな不安を何処にぶつけたか?そうベルリンの壁にぶつけたのだ。

あの頃の彼等にはまだ『ここではない向こう側』が存在した。こっちが駄目なら、向こう側に行けばいい。

でも、もう僕らには向こう側なんて物が無い。じゃあ、何処に行けば幸福な未来が待っているのか?でも、この20年間で幸福な社会を考え出すための『思想』という道具は錆付いてしまった。

物語は途中だというのに、僕らの物語はあまりにも先が見えなさ過ぎるし、見えやすくするための道具さえさび付いている。何処に亀裂があるか、何処に穴が開いているのか解らない。

20年前僕はまだ5歳だった。幼稚園の時、テレビで皆がコンクリートの壁をハンマーとかで叩いてワイワイやっている光景をテレビで見た事を覚えている。あの時僕はこの人たち何やってるんだろうと、とても不思議だった。

不思議に歓喜している大人達、彼等の未来は結局今に繋がっている。僕らの前には前よりもずっと破壊が困難な壁が聳え立っている。



11月12日(木)23:18 | トラックバック(0) | コメント(0) | 社会 | 管理

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