兄目線でアニメ
 
アニメに対する、視点、論点、あと,メイドさんとか、自作PCとか、鉄道とか酒とかな話。
 



工場

 子供の頃、僕は絵を描くのが好きな少年だった。本当につまらない落書きみたいなものだったけれども、その時は描くこと自体が面白くって、芸術的にどうだとか、絵として上手いか下手か、そういうことにはまったく興味は無かった。
 父親はそんな僕に落書き用の紙を何時も会社から束で持ってきてくれた。紙はまったくの白紙というわけではなく、裏側には複雑な図面や数字が羅列し印刷されている。つまり父親は会社で要らなくなった書類の裏側がまだ白紙であるため勿体無いので息子のお絵かき用に家に持ち帰っていたのだ。
 その頃、父親は何か大きな工場に物を生産するための、巨大な装置を設置する会社で仕事をしていて、その装置を現場で組み立てるのが彼の仕事だった。そこでは様々な書類、例えば設計図とか、見積書とか、装置の動作レポートやら、が沢山コピー機でコピーされ、必要が無くなると捨てられてゆく。
 今じゃ情報漏洩の問題などが五月蝿くて、必要がなくなったとはいえ、会社の書類を持ち出す事なんて出来ないことだろうけれど、あの頃はそれが普通だったし、それで大した問題も起きなかった。

 父が持ち帰ったコピー用紙裏面(裏面といっても、その頃の僕にとっての裏面であって、本来はそちらが表側なのだけれども)には実に様々なものが記されていたけれど、まだ小さかった僕にはそれが何なのか解らなかったし、興味も起きなかった。今思い出してみると、その大体は配管の図面とか設計図で、もうちょっと真剣に見ていたらもしかしたら面白かったかもしれないと今では思えるのだけれど、その頃僕にとってはそんな設計図より、表面の白紙に絵を描いていくことの方がずっと重要だつたし、何より面白かった。僕はあの頃何となくではあるけれど、このままずっと何かを描いて生きて行けたらな、そんなふうにも思っていた。
 それからしばらくして、僕は少し大人に成る。その頃もまだ絵を描くことは好きで描き続けていたけれど、だんだん絵だけを描くんじゃなくて、自分の描いたその世界にストーリーを入れたくなって、漫画みたいなものを描き始めた。そうなっても父の持ってきてくれる紙は下書きとかデッサンに使うには問題なかったから、重宝に使っていた。
 その時には僕も少しは利口になっていたし、科学とかSFとかも好きになっていたから、コピー用紙の裏面に載っている設計図にも少し興味が持てるようになっていた。それで一度だけ遊びでその設計図を解読して父親がどんな装置を作っているのか、その装置の絵を描いてみようとした事がある。
 とても疲れたけれど、自分でも上出来と思えるぐらいの絵が描けたことは覚えている。その装置はまず工場の入り口から材料を搬入する。搬入するとはいってもベルトコンベアもトロッコも何も無い、材料とは自分で歩くことが出来る。そう、この工場は人間を材料に何かを作っているのだ。
 材料達はまず大きな大きな水槽に沈められる。水槽の中には色々なバイオテクノロジー的なアミノ酸とかミトコンドリアとか、人間に教育されたウイルスとか、生理食塩水とかそういうものが満たされていて、材料はそこで下ごしらえを受ける。
 十分に水槽で処理をされた材料は、太いパイプを通って、次のもっと精密な作業をする、水槽に運ばれ、そこで処置を終えると、またもっと精密な作業をする水槽、また次の水槽とどんどん工程を進んで行き、最後にはちゃんとした製品、つまり人型ロボットとして完成し、肺に溜まった培養液をロボットアームに赤ん坊にげっぷをさせるように吐き出さされて、体を大きなドライヤーで乾かされ、揃いのユニホームを着せられ、引込み線に停車した貨物列車に積み込まれてゆく・・・そして僕がそんな絵を描いて数週間後にそれはTVのCMで発表された。

『遂に全人類待望の、次世代人型ロボット誕生、その名はメイドさん。今までのロボットには無い柔らかさ、暖かさ、しなやかさ、を特殊な原材料を使い再現しました!一家に一台、メイドさん。とても可愛いメイドさん。』



3月19日(水)22:30 | トラックバック(0) | コメント(0) | メイドさん | 管理

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