第五章、家庭の洗濯機⑤ |
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| 僕はそんなものが家庭ならば、そんなもの例えば将来、大人になっても作りたいとは全く思わなかった。 でも、最近淋しくて仕方ないのだ。高校生や大学生の時のような、孤独とは全く違う孤独。それが孤独といえるかどうかさえ解らない。体温が欠如してしまっているような感覚。少し怖くなる事もある。 個人差はあるかも知れないけど、ある程度の歳に成ると三人称としての家庭でなくて、自分の所有格としての家庭を作りたくなるのは、こういう寂しさのせいなのかのしれない。
そうさ、人間なんて馬鹿馬鹿しいほど自分の意思に忠実ではいられないもので、学生の時分などは恋人がいないと不安になり、社会に出ると配偶者がいないと不安になってしまう、さらに結婚すると子供がいなければ不安だし、子供が出来たって、子供が中々結婚しないと不安なわけで、そんでもって、子供が無事結婚しても、孫が生まれない事にはその不安は解消しないわけで・・・ 結局、人は遺伝子に刻まれた種族保存の本能に絶えず不安感を与えられて、動かされて続けているだけかもしれないね。 いつも理性的にあろうとしたって、それはこういった野生的な不安に絶え間なく攻撃され続けて、ボロボロになって理性が上手く働かなくなり寄る辺無い気持ちになると、人は恋とかそういう麻薬に漬け込まれてしまうんだな。 恋は盲目ってよく言うけれど、盲目だから、地面にぽっかり開いた穴に気づかないで落ちてしまうんだな、その底がどこに繋がっているのか僕は知らない。ただ、その出口を桃源郷と呼ぶには、ちょっと調子がよすぎると思うけど。
結局、恋愛と結婚は全く別の話のなんじゃないかな、だから、子供を作ることも、もしかしたら、そういったものとは全く別の問題で・・・性欲によるセックスと生殖のためのセックスと愛情表現としてのセックスは、もしかしたら、同じ性でも、全く別のもので、愛や恋が関係しないのなら、僕ら二人にだって出来るかもしれない。
「君の言うことを総合すると結婚相手とのセックスは、生殖のためだから、子供が出来た後は、セックスしなくなるって事でしょ。」そっけない態度だ。やはり、メイドさんにはその気はないらしい、どちらにしろ、僕等が恋人同士になったり、家庭を作っつたりするのは考えづらい。でも、家庭ってなんだろう? 普通の夫婦が僕の両親のようなものなら、普通でない家庭の方が、いいのかもしれない。 大丈夫、僕は結構変わり者らしいから、普通の家庭はきっと作れないと思う。だから心配なんかしなくたっていいと思うのだ。
だからこそ、夫婦ではなく主人とメイドという間柄で子作りをするという逸脱の行為は僕にとって興味深いのだ。いや、それ以前に、異性に対して出不精の僕は色々言い訳を作って、近場の異性、つまりメイドさんで目的を果たそうとしているだけなのかもしれないけれど。
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8月24日(金)09:00 | トラックバック(0) | コメント(0) | 私小説 | 管理
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