兄目線でアニメ
 
アニメに対する、視点、論点、あと,メイドさんとか、自作PCとか、鉄道とか酒とかな話。
 


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メイドさんのなく頃に

僕は思うのだ、人並みの幸せを求めれば、その幸せ以上のものを犠牲にしなければならなくなるのではと、例えば道徳を突き通そうとすれば、現在のクソの役にも立たない腐敗しきった正解においては、社会を正すため政治家や革命家に成らなければ成らない場合もある。そうなると一般的名家庭を築くことは難しくなるし、自らの欲望のみに従い自分のすきなことだけを行っていれば、趣味に没頭するも、他の何かしらに集中するにしても、よほどの実力と運とが噛み合わない限りにおいて人並みの収入を得る事は難しくなるから、これまた普通の結婚をして子供作って、普通の家庭を築くという、いわゆる普通の平凡な幸せという奴はまた遠のいてしまう。

では僕はどうするべきなのだろうか?それが最近の萌兄のテーマなのである。メイドさんが存在していたあの頃、僕等はまだ学生で沢山の可能性があって、沢山の夢を見る事が出来た、しかし就職し普通の日々をただ過ごしているうちに、僕らの前にはおのずと普通の幸せという選択肢が、他の選択肢よりも幅を利かせるようになり、さもそれが至高の幸せのようにこの目に映るようになってしまう。

こうなってしまえば萌兄といえども太刀打ちできるようなものではないよ、これは一種の社会のシステムであり、思想統制である。国家が、人間社会が存続してゆくために必要な構成員を作るための罠であり、契約なのである。

だから僕はそういったものと戦うために僕は武器を創り出した。武器といっても社会のシステムに勝つことなんて出来ないから、そういったものを無視するための目隠しを僕は開発したんだよ、そうだよ、君をね。

メイドさんは沈黙している。メイドさんと名づけられたその生き物を僕が僕であるための一つのパーツとして僕は創り上げたと言うのに、最近では全く役に立たない。ベットの上に転がしておいても僕を楽しませてくれないどころか、メイドさんが邪魔で手足を伸ばして眠る事すら出来ない。

かつてはメイドさんさえいれば何も要らないと思っていた、そう思うためにメイドさんを創ったのだし、そう思う事が出来れば、僕も人並みの普通の幸せというものを無視して、何かしらに夢中になったり、野望に燃え邁進したり出来たはずなのだ、しかしもはやメイドさんは役立たずのただ飯ぐらいに成ってしまった。メイドさん自体が社会のシステムに乗っかって、まるで僕の恋人気取りだ、メイドさん自身が世の中の毒気に当てられて普通の幸せを求めてしまう。

そうして、メイドさんの腐敗が始まったのだ。何よりも崇高な奴隷として創られたメイドさんが、今や単なる小市民の婦女子を演じているのだ。もはやこれまでである。逃げ場など結局は無かったのだ、メイドさんの盲目的な愛によって、この僕は盲者に成ろうとしたと言うのに、これではもはやメイドさんはメイドさんとしての役目を果たさない、僕はメイドさんにそのことについて話すと、メイドさんは泣き出してしまう「ごめんなさい、ごめんなさい、だから捨てないでくださいご主人様」明日は偶然にも生ゴミ回収があるのでメイドさんをそこに出してしまおう。僕はそう決心して部屋の明かりを消しました。



7月8日(水)22:45 | トラックバック(0) | コメント(0) | メイドさん | 管理

道徳的な善き生徒。

僕は善き生徒であったので先生に反論する事にした。
「先生、教育者という立場の人間が、勝ち組、負け組みなんて言葉を使う打なんて甚だ恥ずかしい事であるから辞めるべきです。」と「だって、そうじゃありませんか。何であなた方は、子供たちに自分だけ幸せに成りなさいと言えるのですか?皆で助け合って社会を良くして行こうといえないのですか?確かに競争は大切かもしれません、でも貴方たちが作りたい、僕たちに作らせたい世の中というのは、勝ち組と負け組とがいがみ合うような世界なのですか?」
先生方に同様が走ります。しかし僕はあくまでも善き生徒であったのでそんな彼等に容赦する事はありません。「一昔前の先生方たちならば、子供たちに善き社会を作るために一人一人努力しなさいと言っていたでしょう。そう、昔の人だって自分のために働いていたのは事実です。でも今のように自分だけのために働いていたわけでもありません!みんな明日の世の中を信じて努力していたのです。」
先生はそれでも「今と昔は時代が違うから・・・今の世の中で落ちこぼれてしまうというのはとても辛い事なんだよ、先生は君らにそんな辛い思いをさせたくは無いんからね、だから厳しい言い方かもしれないが、ああいう言い方をしてしまったんだ。」
「ならば何故、勝った後に負けた人を助けなさいと僕らに言えなかったのですか?普通の大人なら仕方無いかもしれませんが、貴方方は教育者なのですよ、身を持って道徳的に誇り高く生きなければならない立場なのではないですか?」
「君の言うとおりだ、我々は間違っていたのかもしれない、現在の社会的通説に従って教育を行うだけならば、ロボットにだってできることだものな。私たちは人間だ!人間はより善き未来を想像し、それを実現するため助け合う事が出来き動物だからこそここまで来れたのだ、現実が大切とは言っても青写真を描けないような教育に何の意味があるだろうか、私も心を入れ替えてこれからは君らに指導を行うよ。」
僕は善き生徒として先生に理解を得る事が出来たのでとても満足な気分で家路に就きました、家には前から家で働いているメイドさんが居ます。メイドさんは人間ではなく奴隷なので助け合う必要も無ければ、情けを掛けてやる必要もありません。僕は嫌がるメイドさんを部屋に連れ込んで色々な事をしました。メイドさんが泣いても特に何も感じませんでした、だって僕はみんなの為に何時も頑張っているのです、メイドさんが相手のときぐらい我がままを通しても誰が僕を咎める事を出来るでしょう?
メイドさんは「ごめんなさい、ごめんなさい」と泣いています。メイドさんは人間ではないので、メイドさんのそんな声など僕にとっては家畜の鳴き声とさしてかわりません。そういうふうに僕は一日のストレスをメイドさんにぶつけて、明日への活力源にします。明日も僕は、クラスメイトの為、先生の為、世の中の為に頑張ります。だって僕は善き生徒なのですから。



6月29日(月)17:51 | トラックバック(0) | コメント(0) | 社会 | 管理

ちゃんとメイドさんを見てあげてください。

ここのところ、また放置気味でした。申し訳ない萌兄です。

最近何で更新が疎かだったのか・・・実はとある文芸賞に応募するために、書いてる作品の手直しとかで結構忙しかったのです。
萌兄の作品は基本的なライトのベルでもないし、SFでもなければ、官能小説でもないので、出せるところが「ジャンル不問」のところでないと駄目のでめんどくさいです。

さて、何でまたこの時期に小説家になろうとか考えているのかといえば、いろいろ家庭の事情とかが絡んでくるのですが、婚活の一環とでもここでは言っておきます。

まあ、そんな具合で、上手くいけばそのうち萌兄の作品が皆さんの手元にとどくかもしれません、届かなかったら、同人誌として発行するので、どちらにしても届くのですが、まあ、皆さんにとっては、普通の本屋で買うのも、秋葉の同人屋で買うのも、ビックサイトで買うのも大差ないでしょうね。

さて、ここで疑問なのが、最近閲覧者が無駄に多い事です。全盛期のは一日に200人近くの人が見ていたこのサイトですが、萌兄が就職し更新が疎かになってからこっち多くて30人後半といったところでしたが、なんだか60人ぐらい来ていますね。何ででしょう?

まあ、深く考えても仕方ないですけどね。見る人を増やそうと思えば色んな方法がありますけれど、そういうことをしてまで増やす必要に今のところ萌兄はかられていないのでね。

しかし、この流れはなんと言うか、昨日も後輩と話しましたが、世の中にはよく自分がメガネに合うからオシャレでメガネしてるけれど実際そうでもないよねという男の子のことを『勘違いメガネ』と呼ぶそうですが、それと同じに世の中には『勘違いメイド』が増殖しているように感じます。秋葉のメイド喫茶とか、呼び込みとか、テレビ局のメイド系番組にに止まらず、オタク臭い漫画やアニメの中にも勘違いメイドは沢山います。そしてその悪の最たるものが、よく大学の教授とかゼミ生が集まってやっているようなメイド論で、数年前に萌兄もメイド系のムックの中で東大教授がそういったメイド論を書いているところを読んだ事がありますが、本当に『勘違いメイド論』としか言えない物でした。

何故勘違いメイドは生まれてしまうかと考えるとそれは簡単で、勘違いメイド若しくはその取り巻きの方々は、人生を掛けてメイドさんと接していない、腰掛のメイド好きだからであると思います。メイド論にしたって、大学とかでやっているメイド論は、教授にしろ学生にしろ、他の研究の合間に道楽で行っている腰掛メイド論だから、ちゃんとしたメイド論に成らないのです。
どうして彼等は、命がけでメイドさんを愛してあげないのでしょうか?奴隷だから?ヒトでなく物だから?色情狂だから?そんなことどうでもいいじゃないですか!メイドさんは主人である貴方たけを見ているというのに、それこそ命、人生を賭して貴方に仕え、服従し、どんな理不尽にも耐え続けているのに、どうして貴方はメイドさんに対して「どうせ腰掛だからさ」みたいな態度が取れるんですか!

そう、ちゃんとメイドさんの目を見てお話出来る人は、勘違いメイドとそうでないメイドさんの区別ぐらい付くと思うんです。そして、このサイトを見に来てくれる方は、たぶんそういうメイドさんに優しいメイド論と戯れたくてここに着ているのだと萌兄は思うのです。

まあ、今日のところはこんな感じでかんべんしてくださいな。



6月27日(土)18:43 | トラックバック(0) | コメント(0) | メイドさん | 管理

困り者

お疲れ様です萌兄です。

モンハンに飽きたのでPSPの他のソフトやったり、ウォークマンとして使ったりしたりしていたものの、やっぱり面白いソフトがなかなか無いというのがPSPのボルトネックとなってしまい、最近、通勤時間が退屈な感じです。

何か面白いソフトを見つけるか、はたまた文庫本でも読む、通勤時間が長い人にとっては中々頭の痛い話ナ訳です。

といっても、これといってやりたいソフトが無いから困っているのですがね、全く困ったものですな。

まあ、今日は眠いのでこんなところでバイバイです。



6月1日(月)22:36 | トラックバック(0) | コメント(0) | ゲーム | 管理

ねえ、少し考えようよ2。

さて、メイド話はここまでにして、本日僕が話したかったのは巫女話なのである。ギャオTVで先日から「神無月の巫女」の再放送が始まったので、このブログをみている西の善きオタクどもはちゃんと見た方が良いなと思ったのでした。この作品は萌兄にとって、5本の指に入る超作品で、話したい事は沢山あるけれど、ネタばれになるので辞めます。

唯一つ言える事は、この作品において色々起こる不幸な事に対して、主人公たちは「(私たちは)神無月の巫女だから」というだけで、すべてすっ飛ばして納得してしまうところがとてもいいと思いました。萌兄もメイドさんの何処が好きかと問われれば「メイドさんだから」と答えるでしょう。恋人の何処が好きと問われて「全部でぇす♪」と答えるのとは訳が違います。存在そのものにまで掘り下げて其れがそうなってしまっているのです。「全部好き」という人は、その恋人が少しづつ老いたり、性格とか食べ物の好みとか、タオルのたたみ方とか変わっても、変わった後の彼、若しくは彼女の全部を好きでいられるのでしょうか?僕にとってのメイドさんはそんなものじゃないんです、メイドさんがたとえ年老いても、病気になっても、一緒にモンハンしてくれなくても、メイドさんはメイドさんでしかあれないのですから、僕がメイドさんを嫌いに成る事は出来ないのです。

神無月の巫女も同じで、主人公たちがどんなに努力しても、戦って勝っても、生まれ変わっても、彼女たちが神無月の巫女である以上、最終回で目にすると思いますが、あれ以外の結末はありえないのです。だって神無月の巫女だから!理不尽でもなんでも、神無月の巫女である以上、仕方ないわけです。

そんな具合で、神無月の巫女を穿った形で見ると面白いです。穿ってない形以外ではいろんな意味で見る事が出来ない話ですけどね。



5月29日(金)10:38 | トラックバック(0) | コメント(0) | シュールレアリズム | 管理


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