兄目線でアニメ
 
アニメに対する、視点、論点、あと,メイドさんとか、自作PCとか、鉄道とか酒とかな話。
 



2007年9月を表示

第七章『闖入者、眼鏡と生理用品の行方』②

いや、待てよ、でも、やっぱりメイドさんは家族じゃないな。だってメイドさんだよ、使用人なんだよ、家族なんかであるもんか、家族じゃない以上、犯しても近親相姦にならい、昔の人は一つ屋根の下の異性と情事を図るためにメイドという職業を作ったのかもしれない。
 そう思うと、久しぶりに胸が躍る。虚勢処置をされたオス犬の性器が再び生えてきたような高揚感。さりげなくメイドさんに居近づき、肩を撫でたりしてみる、「ねえ、」声をかけられ動揺するものの、彼女は姿勢を全く変えず、まるで僕が触っている事に気づいていないかのように続ける「この光景どう思う?」そうだな、なかなかシュールに映るかもね、僕ら家族はとても個性的だから。そう考えると僕らは日々の生活でシュールレアリズム運動に奔走する生来の芸術家といえるんじゃなかろうか?
「シュールレアリストはリアリストよりも合理主義で、ニヒリストよりも理想家でなければならない」とメイドさんは答えた。なるほど、そうすると僕が大学で専攻していたマルクス主義とシュールレアリズムには、幾つかの共通点があるのかもしれない。
 しかし、共産党員でない、マルクス主義者達は愛が、自らの思想の前提になっているというが、メイドさん、君の思想は、いや、思想なんてこの際どうでもいい、君の心の根底には今どんな感情があるのかな?

 そして僕の心は、

 例えば、人が人形・・・ダッチワイフ等・・・に愛の告白をする事は、まさしく人類を含めた他の有性生殖をする生物に対する宣戦布告に匹敵する行為なのではないかという事。
 ならば、もし、この僕が、メイドさん・・・つまり、人ならざる奴隷に、愛の告白をするということはどんな事か・・・
「愛は絶望的な恋で、恋は理想的な愛なんだと思う。」と、いつかこの話をしようとしたときには、あからさまな拒否を見せたメイドさんから、短いながらも答えが返ってくる。
確かにそうかもしれない、でも突き詰めれば、愛も恋も単なる集団的な思い込みに過ぎないと僕は思っいる。相互的な麻薬生産者と麻薬消費者の関係に過ぎないんだ、みんなは、それをかっこつけて『愛』とか呼んでいるだけだ。

 どの道、僕ら二人が愛について語り合うなんてとんだお笑い種だ、僕らにあるのは契約と感傷ぐらいだろう、希望的観測をすること自体悲しい事だ。
 しかしだ、今僕を突き動かすこの感情(メイドさんを撫でる僕の手はその標的を、彼女の肩から髪に変え、更に耳たぶに至ろうとする、耳たぶは彼女の性感帯の一つに違いないのだ。)は一体なんなのだろうか?
僕の下半身は、あのはちきれんばかりに血気盛んな、中学生に戻ってしまったのだろうか?

今の僕をどう思うかとメイドさんに訊くと「男子中学生は性的なファシストであり、ファシストは本当の女性の前では中折れ」だと答えた。
 なるほど、これは興味深い。メイドさんとの会話は、なかなかの僕の財産かもしれないね。
 結局、男子中学生=性的ファシストの思想の根源には「自慰」にあるような、オナペットの昇華され、美化されすぎた性衝動とエロチズムの孕む背徳性のせめぎ合いというものがあるのかもしれない・・・いや、こんなどうでもいい考察はもう真っ平だ、今の僕の状態がどうかなんて関係ない、メイドさんを犯せれば、それでいいじゃない。
 そう、最低でも、メイドさんを犯せれば、僕がどんなに腹が減ったって、メイドの腹は膨れて行く、
 それを横目で見て、未来を探る。未来があると仮定する、未来になれば男子中学生もきっと、高校生くらいにはなれるんじゃないかと。

「キミの性衝動についての認識は甘いなぁ。」メイドさんは自らの耳たぶを恐る恐る撫でていた僕の手を掴むと、その手のひらを自分の胸の方に引き寄せる、僕は、自分でもわからないうちにとっさに彼女の手を振り払って、彼女の思惑を阻止していた。

ああ、いつかとまた同じことをしているな。



9月2日(日)01:23 | トラックバック(0) | コメント(0) | 私小説 | 管理

第七章『闖入者、眼鏡と生理用品の行方』①

最初から解っていたのだ何時かここを出て行かなければならないことは、だからこそここを選んだのかもしれない。
だって、きっと僕らは自分たちで自分たちの生活の終止符を付けられるほどの決断力を持っていないことを自覚していた。
自覚していたのに・・・それなのに、僕らは躍起になっていた。何とかして失った日常を取り戻そうとしたかったのだ、しかし、僕らの非日常は出会った日からずっと進行し続けていたのだ、その間にあった家族三人のの微笑ましいとはいえなくもない日常は単なる病気の進行を誤魔化すための麻酔に過ぎなかったのだ。
そう、僕らは全て解っているのだ、理解した上で、日常が死刑宣告を受けた後の世界で、再び日常を演じようとしているのだ。これは狂気だ、狂気は本当に美しいものだなと思えるのはこういう努があるからだ。

 「今日、何の日だか知ってる?」ビールを買出しに付き合わされて、疲れて機嫌の少々悪い僕は、あえて答えない。
「何、ふてくされてるさ、もしかして怒ってる?」
「怒ってなんて居ないよ、ただ疲れてるんだ。引越しの事とか考えると、どっと疲れが出るっていうのに、こんな重いもの持たされて(僕は500ミリリットル缶のビールワンケースを抱えている)本当に声も出したくないくらいに、疲れているんだよ。」
「引越しなんて今日はどうでもいいじゃない。それに君は酒屋じゃないか、これくらい軽いもんでしょ。」
「公私混同できる筋肉じゃないんだな。」
 「やっぱり怒ってる、あたしが誕生日忘れてたのがそんなに許せないのかい。」
「いや、今日は僕の誕生日なんかじゃないよ。それに誕生日忘れられたからって怒ったりしないさ、一人暮らしをしていた頃は、よく自分で自分の誕生日忘れてたもんさ。」
「馬鹿いっちゃいけない、君の誕生日なんかじゃない。君は自分の娘の三歳の誕生日も忘れてるのかぁ、呆れたもんだ。」

 そうか、あれから三年経つのか、本当のところ僕は人形が出来上がった日なんか覚えていなかったし、それ以前に今まで人形の誕生日なんてしたことないのだけれど、メイドさんの気迫に圧されてそう思うより他ない。
 「ごめん、ごめん、父親として最悪の失態だ、お詫びにケーキは僕が買おうじゃないか(といっても、家事をやってもらう代わりに食費は全部僕が出しているのだけれど)そうしよう、そうしよう。」
「ガトーショコラなら許そうかな。ちゃんとチョコレートが濃くてずっしり重い奴じゃないと駄目だからね。」

僕がケーキ屋から戻ると、メイドさんと人形はリビングで準備完了の様子。もう待っていられないという感じで、ビールの蓋を開け、「乾杯しよう、はやく乾杯しないと、ビールが一秒一秒、不味くなっていってしまう。」僕も全く同感なので、手洗いうがいを素早く済ますと彼女と二人で命の水にありついた。

僕らはケーキを箸で突付きながら、ウイスキーを飲んでいる。きっと来年の誕生日をこのメンバーで迎える事は無いなと僕には確固たる確信がある。
「ハッピーバースデー、といっても、もう年取るのが嬉しい歳じゃないか、」メイドさんは三歳児のレディに語りかける。
 そうだ、人形も、僕らも、もう歳をとることで大きくなる事は無い。僕らはもう古くなる一方なのだ。

 二十歳のときまだまだ自分は若いと感じた。けれどもそれから、一年ごとに僕は少しづつ老いて少しづつ疲れていった。
 でもその代わりに、「生き方」みたいなもの覚えて、年を取るたび僕は利口に生きられるようになった。
 だから、僕は歳をとることを辛いとは思わない。そう大した感慨なんて無い、でも、ただ淋しかった。
 昔仲の良かった友人と疎遠になってしまったような感覚かもしれない。そしてこれからも歳をとるたび、僕は利口に成って淋しがり屋になってゆく。それは目の前でビールを飲んでいるメイドさんもきっと同じはず、彼女は僕と離れてもちゃんと生きていけるだろうか?
僕とメイドさんは恋人同士ではないけれど、一緒に暮に暮らしている以上、我々は家族といえなくもない、家族は血のつながりじゃないのだ。だから愛はないにしても、どこかで互いを心の支えにしているような気がするし、現に僕はそうだ。



9月1日(土)10:42 | トラックバック(0) | コメント(0) | 私小説 | 管理


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