怠惰な幸福に価値はあるのか? |
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| お久しぶりです。萌兄です。
お久しぶりにご主人様と交わるメイドさんほど情熱的な生き物もいないので、今回はそんなテンションで行きたいかナ的な。
さて、本日友人と会話したところ、彼はこの四月で仕事をクビになるので戦々恐々としていたのでした。
それくらいでは、死なないからマジ大丈夫だよ。と諭しましたが、日本で自殺する人の殆どがそういう、あまりにも低い理由で自殺の道を選んでいるので心配半分、呆れ半分。
さて、では、お金や仕事があれば幸せなの?よく考えてみなさいよ、お金や仕事なんて、誰でも持っているようなものを物を幸せと思うなんて没個性的というか……例えば、萌兄などはなかなか手に入らないメイドさんを手に入れないと幸せにならないので、仕事やお金が今はありますが、微塵も幸せを感じません。
結局、社会人生活で得られた事は、仕事やお金で手に入る幸せやそれに付随することは、そういったもので幸せを得ようとする行為はあまりにも「幸せ」というものに対して怠惰な、怠慢な立場としての幸せであるということです。
メイドさんを手に入れることは、仕事やお金を手に入れることなどよりも何十倍も難しい行為です。それだけにメイドさんから得られる喜びというものはそういった幸せの何十倍……いや、何百倍というか、量的ではなく質的な値として、超越した幸せが得られるわけです。
ここまで聞けば、どんな方にも、お金や仕事で得られる幸せというのはどれだけ、怠惰な物の幸せか……。
メイドさんを求めるということはそういう崇高な幸福への挑戦と言っても過言ではありません。
まあ、こんな感じで萌兄のメイド狂いは日に日に病状が悪化しているわけで。
さて、この前も話しましたが、あれ、話したっけ?忘れちゃったなぁ。それはそれとして、萌兄とその仲間たちが今度、まとまった形で作品を出すので楽しみにしてください。追ってまたブログに載せますが、なかなか興味深い内容に育っているので完成が楽しみです。五月の上旬には発表する予定です。
まあ、メイドさんを求めるというのはこういうことだということを、萌兄的に徹底的に語ることができる場なので、張り切ってます。そんなところで、原稿の締め切りも近いので今日はこんなところで。
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3月16日(火)21:52 | トラックバック(0) | コメント(0) | メイドさん | 管理
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隣に存在する恐怖 |
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| はてさて、またお久しぶりになってしまって申し訳ない限りの萌兄です。
でも、今回には理由があります。だから今日の話は少し真面目な話です・・・といってもメイドさんの話をするにしても萌兄はかなり真面目にやっているのであまり本人のスタンスとしては変わらないのですが、読み手の方々からすれば結構変わる・・・訳でもないかもしれませんね。
さて、話を戻します。萌兄は不安に成りました。家を買って腰を落ち着けられると思いきや、勤め先の会社がリストラ政策を実施し始めたのです。萌兄の部署は人手不足なので直ぐと言うわけではないでしょうが、それでも、これからも婚活続けて結婚して子供を育ててという、何と無くあった平凡な人生のビジョンというものが信じられなくなったのです。
職場の同僚や上司はそれでも平然としています(なぜなら彼等は雇用に関する法律を良く知らないので、会社がリストラ政策を始めている事に気づいていないのです。)、どう考えても理不尽な対応が行われても、不景気で会社が大変なのだからと素直に受け入れてしまっています。萌兄は法律の専門家ではないのですが、素人が自分で自分の身の少し未来までを予測できるくらいの法律の知識があったので、それでも気づく事が出来ましたが、彼等はそういった(内容にすれば新書一冊ぐらいで理解できるものであるのに)ものに全く興味を示していないし、当事者意識も無い様に、盲目的に会社内での立場を考えてエエカッコシーを貫いているのです。僕は、そういった『少し先の問題』に気づかないことは怖い事だと前々から思っていましたが、それ以上に怖いのは、その組織に属している殆どの人々が、そういった問題にを意識というか認識さえしていないということ自体が本当の恐怖だと確信したのです。
こういったことは、なかなか職場では話しづらいので、大学時代の仲間に話しました。これからの世の中は価値観がどうなるか解らないから、結婚したり、子供育てたりとか、現時点では正社員として給料を貰っている自分にもなかなか考えられないと。仲間も理解してくれてこれからどうしようかという話を沢山しました。そこで色々なアイデアが出ましたので、少しづつでも実行できればなと思います。その為、また更新が疎かに成るかも知れませんが、その時には別の形で皆様にメッセージを発信できればと思います。
抽象的な話になってしまって申し訳ない、話したい事はまだ山ほどあるのですが、もう文字数がそろそろ一杯なので。たま次の機会にでも。
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2月6日(土)11:36 | トラックバック(0) | コメント(0) | 社会 | 管理
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新春、YDAN |
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| ありえないもの、そういうものがこの世の中にはありまして、例えばノ話だ、特に自慰用の兵器としてそれを目撃したのである。
まず、ゴム手袋だ。つけると自らの手が女性の手のようになるから、自分でしごいてもまるで・・・という代物らしい、次はホットウォーマー、棒状のそれでオナホを常温に暖めて使うものだという。USED加工パンティー、これは人工的にシミと香りがつけてあり、色々な事に使うとの事、アニメなイラストつきであるところがポイントというのが、本物らしくなくて良い(生写真付きでないところがという意味)。ちんかけエプロン。オナホ使用時にペニス以外はローションまみれにならないようにするための、腐植布製のエプロン。ハンドホールを据え置き型(高級ホール)に出来るアタッチメント。極め付けに実際の女性から型を取ってシリコン製のレプリカを作成するためのキット、遠距離恋愛の方にオススメというのが生々しくてよい。
そんなこんなで、人の欲望というものには切が無い。さて、挨拶はこの辺にしておいて、この寒い1月を皆様はどうお過ごしですか?萌兄は元々元気ではないので元気でないように過ごしています。
この前、仲間と飲み会で将来について話しました。少し元気が出ました。その話とは関係ないのですが、だいぶ前後輩とアニメキャラにおいての胸の大きさの判定方というものを確立するため議論をしたことを思い出したので、シモネタついでに話す事にいたしましょう。
まず、「けいおん」のように、常時制服を着ているのでキャラクターの胸の大きさが解りにくいと萌兄がクレームを付けたので、絵的に胸の大きさが判別しにくい作品への対処法として後輩と考えた末、頭のいいキャラは胸が小さく、頭の悪いキャラは胸が大きいと考えればよいのではと結論を出しました。そしてこれを利用する事で、胸の大きさは分かりやすいけれど、逆にキャラクターの頭のよさに言明されていない作品の場合、以上の公式キャラ逆算できる事が判明したので、アニメを見るときも疑問を持たずに見る事が出来るようになりよかったねという話です。
最近、真面目な話が多かったので、少しエロ話でお茶を濁した萌兄でしたとさ。
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1月16日(土)20:56 | トラックバック(0) | コメント(0) | 乳 | 管理
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新年ですが・・・ |
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| あけましておめでとうございます。萌兄です。 年末も、正月も無く働かされていたので少々、欝な萌兄です。
さて、皆さん年末年始はどうでしたでしょうか?メイドさんとの秘め始めは済ませましたでしょうか?
相変わらず世の中は不景気のまま、政治の状態も良くありませんね。 こんな世の中でどんな夢を見れば良いのでしょうか?目標を立てろといっても、何か仮に得たとしても、世の中全てが沈没してしまえば、その世の中で手にしていた物は何も意味を持たなくなってしまう。
社会人を続けていると、皆景気が良くなればとか、売り上げが上がればとかそういうことを言って無理している。無理して沢山仕事をして、沢山金を稼いで、沢山物を買って捨てて、沢山食べて、沢山クソをして、疲れ果ててさっさと死ぬ。それが我々の幸せなのだろうか?それが彼等の言う豊かな世の中なのだろうか?
これは、人にも優しくなければ、地球にも優しくない、次の世代にしてみれば迷惑な話だ。
彼等は、不幸を忘れるためにただ、がむしゃらに生き急いでいるようにみえる。いや、死に急いでいる。急いで死なないと自分たちが汚してしまった地球の責任を取らされるかも知れないのだから。
誰も、幸福を求めるために生きていない、不幸を忘れるために生きているような世の中だ、こんな世の中で夢を見るなんて、出来る奴が居たとしたら、そいつ等こそが、この世の中を壊してしまっている張本人だろう。
ただ、それでも、生きてゆくしかない。日本では毎年三万人以上もの人々が自殺している。子供や若い人たちの自殺も増えている。僕らは自分を忘れて、この壊れてしまった世の中を生き続けている。不幸を忘れる事が出来なかった不運な人たちが毎年大勢死んで行く、僕らは彼等に何かしてやれなかったのだろうか?ブログでこういうことを書いていたとしても、結局、僕も、僕以外のこの国の人も毎年三万人を見殺しにしている殺人幇助の人殺しだ。
でも、僕を含めて世の中の多くの人がぎりぎりの生活をしている。今にも倒れそうな人を見つけても、金銭的にも、時間的にも精神的にも余裕が無くて助けてられない、そんな世の中が、景気が良くなれば全て解決するだろうと彼等は本気で思っているのだろうか?
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1月7日(木)12:08 | トラックバック(0) | コメント(0) | 社会 | 管理
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結局メイドオチ |
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| たぶん今年の更新は今日が最後に成ると思われるので、ここで今年の総括をしておきたいと思うのでした。
今年も結局、メイドさん一色の一年でした。家を買っても、婚活していても、仕事で疲れ果てても、行き着くところはメイドさんでした。
メイドさん・・・幻想でも、妄想でもなく、メイドさんという存在は、まるで影のように主人に巣喰う。 影は切り離す事が出来ないように、メイドさんに巣食われた人間からメイドさんを引き剥がす事は不可能に近い。
いや、だからといって、絶対に出来ないというわけじゃない。影を引き剥がす方法が無いのと同じように・・・光の無いと事では影は存在できないのだから、しかし、それは影をはがしたのではなくて、自分の影以外の影と、自分の影が合体してしまっているだけなのではなかろうか?
ならば、メイドさんを引き剥がすことは、自分のメイドさんとその他のメイドさんの区別がなくなるのと等しい。
目の見えない、光を知らない人間に影という概念が無い、しかし一度でも光というものを知ってしまっては、もう影からは逃れられない、逃れるには光の無い影の集合体に沈むという行為によってのみ達成できるが、それ自体、本来の意味で(例えば光のある空間で自分の影を切り離すとか)影から逃れているわけでなく、気を紛らわせる程度の事だ。
メイドさんも同じで、一度メイドさんという存在を知ってしまえばもうメイドさんから逃れる事は出来ない。自分のメイドさんから逃れるために、メイドさん達の海に身を投じようとも、それは深みにはまるだけである。もはや萌兄はその域に達してしまっている。
闇の中では、自らの影が、世界の影と一体化する・・・メイドさんの海の中では、自分のメイドさんがやわらかなメイドさん達の中に溶けて、自分のメイドさんが世界のメイドさんと一体化する。世界中のメイドさんという存在が僕に巣食う。
これが、メイドさんを通して世界を見るということだ。
これからも、僕の視界には、メイドさんという存在が色眼鏡のようにかぶさり続ける。
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12月26日(土)21:52 | トラックバック(0) | コメント(0) | メイドさん | 管理
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