兄目線でアニメ
 
アニメに対する、視点、論点、あと,メイドさんとか、自作PCとか、鉄道とか酒とかな話。
 



2006年12月1日を表示

トイレの壁に「世界平和」って落書きを。2

昨日の続きです。

昨日の話からして、落書きより芸術の方が優れていると思えるのは当然だけど、確かに芸術は凝っていて素晴らしいものが多いけど、その代わり、何か考えさせることを強制して、社会に影響与えてしまうという性質を持っているから、うかつな事はかけない。

例えば漫画がそうだ、昔はただの娯楽で、漫画というメディアで、どんなに世界平和を訴えたり、社会風刺をした内容のものを描いたとしても、「所詮は漫画」とかいわれて多くの人に本気で相手にされなかった。でも、今や漫画というメディアも世の中から『芸術』として受け入れられて、社会にメッセージを訴えかけて、影響力を持つようになった。2ちゃんねるもそうだ、最初は本当にトイレの落書きとか言われてたけれど、今や、そこに書かれていることが、ニュースで出たり、評論されたり、ドラマになったり、警察が動いたり、ある意味『芸術』になってしまった。

『落書き』が『芸術』に格上げされることは悪い事じゃない、むしろいいことだと思う。でも、一度芸術になっていますと、社会や、人に、影響力が強くなるため、規制が強くなったり、あまり刺激の強すぎるものは作れなくなってしまうし、芸術としての見方が強まると、肩の力を抜いて楽しめる娯楽的な作品はレベルの低いものとして見られてしまう事がある。こういう、メディア内の差別みたいなものが、今の漫画やアニメといったメディアの中では結構問題に成っているとおもうし、何より怖い事は、落書きから芸術に格上げされるということは、もういい加減なものや、激しすぎるものはつくれないという枷がはめられてしまうということだ。

例えば、道徳って何だろうとか思って、逆にとても非道徳的な話を文学作品として書いたとすると、いろいろ話題や、問題にも成ってしまうだろう。でも、その作品がエロゲとして出されたら?同じような話だとしても、「すごい内容だけど、所詮エロゲだしな」で終わる場合が殆どだと思う。それはある意味エロゲというメディアが、成長はしているとはしても、まだ芸術として世の中に認識されていないためだ。いい意味でエロゲは落書きのままでいる。

この「いい意味で落書き」というのが僕は大切なんだと思う。ただでさえ、堅苦しい世の



中そういう、いい加減なメディアってのは必要なんじゃないだろうか?何かすごく大切なんだけど、大勢には逆らっているような事を書くとき、もし、芸術化してしまった漫画というメディアでそれをやれば、圧力もかかるだろうし、風当たりも強いと思う。でも、いい意味で落書きの、エロゲとかエロ本とか、このブログとかに書く分には大した力も無いし、それを見て考えてくれる人は少ないと思うけど、本当に自由に作ること、本当に自由に触れて感じる事ということが出来る一つの方法になっているのだとおもうのだ。



12月1日(金)22:07 | トラックバック(0) | コメント(0) | 小説・文芸 | 管理


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